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西田哲学の絶対無の論理をどのように継承・展開するのか

世界思想史における西田哲学の位置と意義

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 なぜ、今日、西田哲学は顧みられないのか

 今日、西田哲学について語る場合、西田幾多郎が東洋思想と西洋思想を統合した「世界哲学」の形成を目指した哲学者であった、ということを改めて確認する必要があります。西田がそのような課題に取り組んだ背景には、明治の開国日本という歴史的事実があります。明治以降、近代西洋文明が流入し、伝統的な東洋文明と接触しました。それによって異質な両文明の対立・相克が生じ、それをいかに克服し調和を実現するか、という課題が提起されました。

 しかし、二つの文明の関係は、対等なものではありませんでした。東洋文明は、進んだ科学技術を有する西洋文明の圧倒的な影響下におかれました。開国した日本は、いちはやく西洋の文物を輸入、摂取しようとしました。「欧化政策」が推進され、伝統的な文化は忘却され放棄されてしまいました。それが、思想の分野でも起こりました。桶谷秀明は、そのことに関して次のように述べています。

  このような状況の中では、西洋の同時代の哲学思想にひたすら追随し、東洋思想を旧套として捨て去るような態度が主流的でした。西洋哲学の輸入、翻訳、解説が哲学者の任務とされるところでは、東洋思想と西洋思想の統合というようなことが、哲学者が取り組むべき本来的な課題として自覚されることはなかったし、哲学者の共通認識とはなりえませんでした。

 西田は、この課題に初めて本格的に取り組んだことにおいて「例外的」な哲学者であったといえます。このような思想状況は、今日でも基本的に変わっていないと言わざるを得ません。それどころか、東洋思想と西洋思想の対立相剋ということは、もはや意識にのぼることすら稀になってきています。アカデミックな哲学の分野においては、哲学といえば普通、西洋哲学のことを意味し、哲学の研究とは、もっぱら、西洋の特定の哲学者の学説を研究することとなっています。

 中村元は、そのような哲学研究のあり方について、「一人の西洋の哲学者に一生を打ち込んだというと聞こえはよいが――(実は『聞こえがよい』という知識人のあり方自体が、どうかしているのであるが)――それは、結局、その哲学研究者がその仰いだ哲学者の精神的奴隷となっているだけではないか。……現代の日本の思想的状況は、よく言われるように、西洋の思想的植民地となっていて、われわれの生活の現実に必ずしも適しない思想が、装飾品のように飾り立てられ、生活に対応せず、チグハグとなっている。この状況を脱出するのでなければ混乱はますますひどくなるであろう。」(『中村元選集』第17巻P20〜22)という厳しい批判をしています。

 このような思想状況の中にあって、西田哲学は捨てられて顧みられないという状態に置かれているといっても過言ではありません。もちろん、西洋哲学も、特殊西洋的なものではなく世界的普遍性をもっています。しかし、東洋哲学を除外した西洋哲学が、真の世界的普遍性を有することはできません。東洋哲学についても、同じことが言えます。西洋哲学と東洋哲学が、それぞれの特殊性に即しつつそれを超えた普遍性を有する「世界哲学」のうちへ統合されてゆかねばなりません。西洋起源の近代科学技術文明が全人類的な危機をもたらした現在、それは、全人類的な思想課題ということができます。

 西洋文明と非西洋文明の接触と新しい文化複合体形成の可能性

 この課題がいかなるものであるかを明確化するために、それをより広い文明論的観点から捉え返してみる必要があります。そのために、この問題に関するトインビーの見解を見てみることにします。トインビーは、近代西洋文明の拡大によって、非西洋文明がその影響下に置かれた出来事と比較可能な事例を、アレクサンドロス以降のギリシャ文明の攻撃的拡張が、シリア文明をはじめとする他の文明に大きな衝撃を与えていた、という出来事のうちに見いだしています。そのことについてこ、トインビーは次のように述べています。

 シリア文明は、ギリシャ文明の圧倒的な影響下に置かれたが、それに一方的に吸収、同化されたわけではなく、二文明それぞれは解体し、新しい複合体が形成された。そして、この複合体から新しい文化・文明が形成された。近代西洋文明は、そのような文化複合体を生み出す時代に匹敵する政治的・文化的状況にある――と。すなわち、西洋文明が、文化的にも政治的にも、時代を同じくする諸社会に対する攻撃的滲透の先頭に立ったことで、前文明社会だけでなく、現存する非西洋文明も、この西洋起源の世界的規模での革命によって震撼させられた。西洋と、まだ残存しているすべての非西洋社会との現在の衝突は、間違いなく、一時的な西洋支配が衰えた後、この多様な、おそらくはさらに稔り多い文化複合体を生み出すかもしれない。

 トインビーは、世界の西洋との出会いの結果を、このように予測しています。このトインビーの展望について、山本新は次のように述べています。

  東西思想の統合による「世界哲学」の形成をめざした西田幾多郎

 このことを思想の面において捉え返すならば、精神革命以来それぞれ2千数百年の伝統を有する東洋思想と西洋思想が、人類史上初めて本格的なかたちで接触した、ということです。東西思想の統合という課題は、ここから歴史的必然性を持って、文明論的な課題として提起されてきます。もちろん、異質な両思想の接触ですから、そこには大きなギャップ、激しい対立が生じざるをえません。

 西田は、その真っ只中に身を投ずることによって、この課題と取り組みました。上田閑照は、そのことについて次のように述べています。

  東西思想の統合という課題の解決には、このように極めて大きな困難が伴います。この場合の世界哲学とは、東洋でも西洋でもない、混合思想あるいは折衷思想を作るということを意味するものではありません。それぞれの独自性を活かし得るような普遍性をもった哲学を形成する、ということです。西田以前にも、東西思想を統合する試みは存在しました。しかし、それらは、いくつかの西洋思想に東洋思想との類似性を認めるというものであったために、折衷的な総合にとどまりました。

 上田が指摘しているように、西田はそのような立場を超えていました。そのことに関して、下村寅太郎は次のように述べています。

  西田哲学の独創性は、そこにあります。われわれは、このような西田の立場こそ継承し、西田が取り組んだ課題に、人類史的危機といわれる今日の状況の中で改めて取り組まねばなりません。東西思想の統合によって形成されるべき世界哲学は、近代西洋の科学技術文明の全地球大的規模の拡大によってもたされた生態環境の破壊による人類生存の危機克服の基本方向を示すものでなければなりません。

 この全人類的な課題の解決に、日本の哲学が寄与しうる可能性は極めて大きいと思われます。日本には、古代インド・中国以来の仏教、儒教、老荘思想、日本独自の仏教、儒教、神道の蓄積があり、百数十年にわたって摂取してきたギリシャ・キリスト教以来の西洋思想およびイスラーム思想の蓄積があります。そして、異質な二つの思想の合流点に、西田哲学が存在しています。

 ここには、日本的個性と東洋的特殊性を保持しつつ世界的な普遍性を有する哲学を形成する可能性が存在しています。日本人は、このことにあまりにも無自覚です。鈴木享は、そのことについて、「西田哲学において、われわれはとにかく一つの根底的な出発点をもったのである。ここに西田幾多郎の哲学が現在の日本人の哲学的思索にとって、極めて貴重な遺産であり、これを批判的に継承・展開してゆくことが大切な理由である。……この日本人がようやくにして持ちえた西田哲学という貴重な遺産を批判的に吟味することを放棄して、ヨーロッパの今日の流行思想にひたすら追随するにすぎないならば、またしても西洋文化の<切り花>を楽しむにとどまるだろう。」(『生きる根拠を求めて』P2)と述べています。

  継承すべき西田哲学の核心的な思想内容としての<絶対矛盾的自己同一>という論理

 それゆえにこそ、われわれは、これまで述べてきたような文明論的な観点から西田哲学を捉え返し、それを批判的に継承・展開してゆかねばなりません。『絶対無の哲学』は、その一つの試みです。

 では、継承すべき西田哲学の核心的な思想内容とは何でしょうか。それは、<絶対矛盾的自己同一>という論理です。これは、鈴木大拙が創唱した大乗仏教の「即非の論理」を、論理学的に形成したものです。西田は、西洋の論理に即非の論理を対置させることによって,その特殊的内容に即しつつ、しかもそれを超越した世界的普遍性を有する論理を確立しようとしました。この論理がどのようなものであるかをつかむためには、それを西洋の伝統的な形式論理と対比させてみる必要があります。

 形式論理には、同一律、矛盾律、俳中律という三つの原則があります(これらが意味するところは同じです)。同一律は、「AはAである」という形式で表わされ、Aの自己同一性を意味します。矛盾律は、「Aは非Aではない」という形式で表わされ、AはAであってA以外のいかなるものとも同一でありえない、ということを意味します。すなわち、Aと非Aとは相互排斥的な関係にあります。排中律は「AはAでも非Aでもないものではありえない」という形式で表わされ、Aと非Aとの間にはいかなる中間的第三者も存在しえない、ということを意味します。

 この論理は、原子論的なものの見方と深く関連しています。原子論とは多様な現象を分析していけば、もはやそれ以上分割できない構成要素に到達するという考え方です。その構成要素が、単一・恒常不変の完全剛体である原子(アトモン・不可分のもの)=アトムという個物です。アトムは、恒常不変であるから固定的実体生、自己同一性を持っています。したがって、AはAであって非Aではないとし、Aと非Aとを区分し、それぞれの自己同一性を定立することができます。

 これに対し即非の論理は、「AはAではない、故にAはAである」という形式で表わされます。ここでは、「AはAではない」と否定され、かつ「AはAである」と肯定されています。この場合に「AはAではない」という否定は、Aという個物の固定的実体性を否定することです。そのような固定的実体性を否定されたものとして、AはAであるとして肯定されます。個物は、固定的一体性を持たないものとして自己同一的なのです。AがAであるというのは、そのようなものとしてであるということです。これは、原子論的なものの見方とは根本的に異なっています。

 そこに成立する論理について秋月龍は、「A(肯定)と非A(否定)、すなわち絶対に相反するするものの(絶対矛盾)が「即」の一字によって、端的直接に、そのまま一(自己同一)である」(『鈴木禅学と西田哲学』P71)と述べています。これを西田幾多郎は、<絶対矛盾的自己同一>という論理的形式で表現しました。

 しかし、西田はこの論理の構造を十分具体的に解明しているとはいえません。多くの場合、「一即多 多即一」というような定式を示すにとどまっています。『絶対無の哲学』は、このような西田の論理の限界を克服し、それを具体化するという課題に取り組んだものです。ここで、西田の論理がどのようなかたちで具体化されていいるかを説明してみたいと思います。

  「絶対無の論理」・「場所的弁証法」の立体的構造化

 まず、絶対矛盾とはどのようなことなのでしょうか。それは、Aと非Aとが相互否定的関係にあると同時に相互肯定的関係にある、ということです。Aと非Aとの相互否定的関係とは、Aが生じるときには非Aは滅し、非Aが生じるときにはAが滅する、という関係です。この場合、滅するとは、単に無くなってしまうということではありません。そうではなく、Aが成立するときには、非AはAの中に入り、そこに隠れ全体がAとなり、逆に非Aが成立するときには、Aは非Aの中に入り、そこに隠れ、全体が非Aとなる、ということを意味しています。

 全体がAとなっているとき、そのAは唯一のものとして独立的・単独的です。非Aについても全く同じことが言えます。ここには、一方が成立しているときには他方は成立しえないという相互否定的な関係が成立しています。それぞれが独立的・単独的なものとして、相互に排除しあいます。

 このような関係が可能となるのは、Aと非Aという二つの個物が、ともに固定的な実体性を持たないからです。固定的な実体性を持っているならば、それが妨げとなって、Aが非Aの中に入り、非AがAの中に入るという関係は不可能になります。

 AとA非Aは、それぞれが独立的な唯一絶対の存在として、全く同等であり、相互に置き換えることはできません。Aと非Aとは、そのような存在として、相互に排斥し合います。しかし、一つの自立的存在は、他の自立的存在に対することによって、はじめて自己が他に絶対に置き換えることのできない唯一の存在であるという、その絶対的独自性を主張することができます。絶対独自としての他者のないところ、他者に対しないところには、絶対独自としての自己の存在は成立しえません。ここには、Aと非Aが互いを要求し、肯定し合うという関係があります。これが、Aと非Aの相互肯定的関係です。両者は、相互依存的です。

 これは、固定的実体生を持つ二つのアトムとしての個物が別々に存在しており、しかるのちに両者が結びつけられる、というような外在的な関係ではありません。二つの個物は、初めから相互依存関係のうちにその両契機として取り組まれており、そのことにおいて、非実体的なものとし成立しているのです。

 以上が、Aと非Aの相互否定的関係と相互肯定的関係が同時的である絶対矛盾の具体的な存立構造です。形式論理の矛盾律に従えば、Aが肯定されれば非Aが否定され、Aが否定されれば非Aが肯定されます。したがって、Aか非Aのいずれかを選択することによって矛盾は解消します。矛盾は許されず、解消されなければならないのです。

 しかし、Aと非Aが相互否定的であると同時に相互肯定的であるというような矛盾は、解消不可能です。それが、絶対矛盾ということです。このような関係にあるAと非Aという両契機は、第三項である<絶対無の場所>によって包み込まれています。そして、絶対無の場所がAと非Aを絶対に矛盾したまま媒介・統一します。場所は、両項の媒介者です。

 それによって、Aと非Aとが、それぞれに独立性・独自性を保ったまま相互に調和します。そのような関係が可能となるのは、相互否定的関係と相互肯定的関係が同時的な絶対矛盾の関係にあるAと非Aを包摂する絶対無の場所が、絶対否定 即 絶対肯定 という論理構造を有していることによります。

 西田の「絶対無の論理」「場所的弁証法」と言われるものは、このような形で立体的に構造化されました。それは、絶対無という実在の論理的存在構造が具体的に解明されたということを意味します。(この構造を、もう少し具体的に説明するならば、、絶対に矛盾する有と無を絶対無の場所が包摂し、媒介・統一するということです。)

 すべての個物が絶対に矛盾したまま統一されるという関係の成立

 この絶対矛盾的自己同一という論理は、二つの個物の間だけでなく、すべての個物の関係においても成立します。すなわち、すべての個物の間に相互否定的関係と相互肯定的関係が同時的なものとして成立するとともに、それらすべての個物を絶対無の場所が媒介・統一することによって、すべての個物がそれぞれに唯一絶対・絶対的独自のものとして相互に調和するのです。

 まず、すべての個物の相互否定的関係とは、次のようなものです。いま、Aという個物が成立している場合についてみるならば、A以外のすべての個物は個物Aの中に入り、そこに隠れている、という関係が成立しています。A以外のすべての個物がAの中に包含され、存在するのはそのような個物Aだけで、それ以外の個物は存在しません。個物Aは唯一絶対・絶対的独自です。このような関係が、B以下のすべての個物についても成立します。

 ある個物Aか成立するときには、それが主となり、それ以外のすべての個物は従となって、主となる個物のうちに包含されます。次に、他の個物Bが成立するときには、それが主となり、先に主なったAを含む他のすべての個物が従となって、新しく主となった個物Bのうちに包含されます。こうして、すべての個物が、互いに主となり従となります。そのようなものとして個物は、相互に排斥し合います。

 しかし、他の面から見れば、一つの個物が独自的なものとして成立するためには、他の個物の存在が不可欠です。すなわち、それぞれの個物は他のすべての個物に対することによって、自己が、他のいかなる個物によっても絶対的に置き換えることのできない唯一絶対のものであることを確認することができます。すべての個物は、このようなかたちで互いに求め合い、相依り合います。これが、すべての個物の相互肯定的関係です。

 こうして、すべての個物が絶対矛盾の関係に置かれます。すべての個物が、唯一絶対・絶対的独自でありうるのは、それぞれの個物が、同一の全体的一を自己のうちに独自なかたちで表現することによります。全体的一とすべての個物との間にも、絶対矛盾の関係が成立します。そして、絶対矛盾の関係にある全体的一とすべての個物を、絶対無の場所が包み込み、媒介することによって、全体的一とすべての個物が絶対に矛盾したまま統一され、すべての個物が絶対に矛盾したまま統一されます。

 これが、西田哲学の「一般者の自己限定 即 個物の相互限定 個物の相互限定 即 一般者の自己限定」という論理の存立構造の具体的な解明です。このように、すべての個物が、互いに含み合い、互いに含まれ合うというかたちで無限に重なりあい相即融和します。すべての個物が唯一絶対・絶対的独自でありながら、相互に妨げ合うことなく調和します。このような関係が可能となるのは、ここでのすべての個物が、「AはAではない、故にAである」という形式論理の同一律とは異なる独自の同一律に従う固定的実体性を持たない個物だからです。

  私的利益をを追求する経済的アトムとしての諸個人の<われ>と<わがもの>への執着

 では、この絶対矛盾的自己同一という論理は、先に述べた人類史的危機の克服にどのようなかたちで寄与し得るのでしょうか。そのことを、先に言及した原子論的なものの見方に立脚する近代西洋社会科学、アダム・スミスの古典派経済学における個人観と対比させるかたちで考察してみたいと思います。

 アダム・スミスは、近代社会を、誰でも交換することによって生活し、誰でもある程度商人となる「商業的社会」として捉えています。諸個人は、日常生活において、それぞれ多様な欲求を持っています。しかし、それぞれの個人は、自己の欲求を充足させるための手段のすべてを一人だけで生産することはできません。そのため、それぞれの個人は、他の無数の個人が生産したものを獲得するとともに、他の無数の個人に、彼の生産したものを、彼らの欲求充足の手段を提供しなければなりません。諸個人は、彼らの生産物を交換するのであり、そこに相互依存関係が形成されます。

 ところで、アダム・スミスの「商業的社会」の構成要素は、アトムとしての個人、すなわち「経済的アトム」としての個人です。それが、「経済人=ホモ・エコノミクス」です。ホモ・エコノミクスは、アトム的個物である商品の所有者という面において捉えられ、その他の面は捨象されます。このホモ・エコノミクスは、他の個人からはっきりと区別される独立自存の存在として、利己心に基づいてのみ行動し、ひたすら私的利益を追求します。経済的アトムとは、そのような意味です。

 諸個人が、私的利益のみを追求する経済的アトムとして行動するとき、そこには、転倒が生じてきます。本来、諸個人が生産物の交換を行なうことの目的は、あくまでも、それぞれの個人が交換よって獲得したものを使用して欲求を充足させ生活を実現することにあります。つまり、Aという個人が、Bという個人に自己の生産物を譲り渡すことによって、Bという個人の生産物を獲得して、その生活を実現するわけです。このことは、Bという個人が、自己の生産物をAという個人に譲り渡して、Aという個人の生産物を獲得し、その生活を実現する、ということと相互的です。このような関係が無数の個人の間に成立することで、それぞれの個人が多様な要求を充足させることが可能になります。

 ところが、それぞれの個人が、孤立した経済的アトムとして行動するとき、他者を私的利益追求のための手段として利用するようになります。すなわち、他者から物を獲得し、所有することが自体が、自己目的化するのです。すなわち、より多くのもの獲得、所有することが、目的となります。諸個人は、私的利益を追求するエゴイストどうしとして相互に関係します。このような関係において、それぞれの個人は、より多くのものを獲得し<わがもの>とするための手段として、他の個人を利用します。それぞれの個人は、他者から孤立した<われ>に執着し、自己が所有する<わがもの>に執着することになります。マルクスは、このような転倒した諸個人の関係の原因を<私的所有>に見いだしました。

 こうして、より多く所有せんがために、より多く生産することが、ひたすら追求されていたゆきます。生産と交換とが、このような目的・動機によって主導されることによって、物量的生産力の無限増大が追い求められてゆき、現代の大量生産・大量消費システムを生み出すに至ったのです。その結果が、全地球的規模での自然生態環境の破壊による人類の生存の危機でした。このような全人類的危機を根底的に克服するためには、大量生産・大量消費システムという社会経済システムのみを問題とするだけでは十分ではなく、それを基底において支えている原子論的なものの見方の限界を克服した新しいものの見方を確立する必要があります。

 すべての自然的個物・人間的個人・文化的個物が相互に調和する「万物万人の共同体」の形成

 ここに、原子論的なものの見方と深くかかわっている形式論理を超える、絶対矛盾的自己同一という西田哲学の論理が大きな可能性を持つものとして浮かび上がってきます。それぞれが固定的実体生を持つ諸個人が、自己の私的利益追求の手段として他者を利用するとき、そこには次のような関係が成立します。Aは主として、Bを従の位置に置きます。Bが主となるときには、Aを従の位置に置きます。それぞれの個人は、一方的に他者を従属させようとします。すべての個人が、そのようなものどうしとして関係するとき、そこには当然、相克が生じざるをえません。たとえ、そこに調和が成立するとしても、それは、相克を内蔵した暫定的な調和にすぎません。 

 それに対し、諸個人が固定的実体生を持たないものどうしとして関係するとき、そこには次のような関係が成立します。Aが主となるときには、Bは従となって、Aが絶対独自の存在として自己実現することを助け、Bが主となるときには、Aが従となって、Bが絶対独自の存在として自己実現することを助けます。自己否定が同時に他者肯定であるという関係が、AとBとの間に相互的なものとして成立します(先述したアトム的個人の場合は、誰もが一方的に他者を従としようとするだけで、他者のために自己を従としようとはしません)。

 このように、互いに主となり従となるAとBが互いに他を求めあうことで、それぞれが他と代替不可能な独自で個性的な個人として自己実現し、相互に調和します。このような個人は、単にそれぞれの欲望を充足させるために生産物を交換しあうだけの存在ではありません。それらの諸個人は、相互補完的にそれぞれが個性的で全人格的な生活を実現する存在です。アトムとしての諸個人の間の生産物の交換は、そのような諸個人の全人格的生活の実現のための外的・物質的条件となります。それによって、私的所有を原因とする諸個人の転倒した関係の克服が可能となります。

 すべての個人の間にこのような共同性が形成されるとき、人間はもはや、より多く所有し、より多く消費するためにより多く生産するという目的のために、自然を一方的に支配し従属させ利用する、ということをしなくなります。それによって、近代科学技術文明が惹き起こした自然(自然生態環境)と人間と社会(社会文化環境)の間の深刻な対立・相克を根本的に克服することが可能となります。

 ものの見方の根本的な転換により、すべての個人だけでなくすべての自然的個物・文化的個物が相互に調和する「万物万人の共同体」を自覚的に形成してゆくことこそ、西洋近代の科学技術文明に代わる新しい文明を創出してゆく道です。『絶対無の哲学』の核心的な思想は、そこにあります。

 自然(自然生態環境)と人間と文化(社会文化環境)との絶対矛盾的自己同一、すべての自然的個物・人間的個人・文化的個物の絶対矛盾的自己同一という関係をを実現しうる文明の創出、ということです。絶対矛盾的自己同一という論理は、そのようのなかたちで全人類的な課題の解決に本質的な寄与をすることができます。秋月龍みんの次のような即非の論理に関する見解も、そのような観点から捉え返されるべきでしょう。

  これまで述べてきたことから捉え返すならば、秋月の即非の論理、絶対矛盾的自己同一という論理に対する評価は決して過大なものではないということを了解してもらえると思います。西田は、東西の哲学を統合することによって「世界哲学」を形成しようとしました。西田哲学は、単に新しい世界哲学の形成だけでなく、新しい世界文明の形成に寄与しうる可能性を内在させています。

  新しい「世界哲学」「世界文明」の形成・創出に向けて西田哲学を継承・展開してゆくという課題

 トインビーは、西洋社会と非西洋社会の衝突は稔り多い文化複合体を生み出すかもしれないと述べていました。西洋文明と東洋文明の対立・相剋を通じて形成される新しい世界文明とは、東洋でも西洋でもない混合文明ではありません。

 それは、多様な文化・文明がそれぞれの個性・特殊性を保持したまま世界的普遍性を獲得するというものとして展望されるべきであり、多様な文化・文明の個性・特殊性を否定・解消するといったものではありません。

 そのような観点から見るとき、西田幾多郎が第二次世界大戦に関して次のような発言をしていることは興味深いものがあります。

  特殊東洋的な即非の論理に即しつつ、しかもそれを超越した世界的普遍性を有するものとしての場所の論理学を形成しようとした西田は、人類の歴史的発展の終局の理念として、各国民族がそれぞれの個性・特殊性をに即しながらしかも自己を超えて、一つの世界的世界を形成する、という世界新秩序を提示しました。文明の衝突が言われ、各地で民族紛争が生じている現代世界において、西田のこの理念は再検討に値するものと考えられます。

 世界哲学の形成ということに関して言えば、ハイデガーが、変転されたヨーロッパ的思索と東アジア的思惟との稔り多い対決的解明が、人間を極度に技術的に算定し操作するということによる脅威から救いだす仕事に助勢し得るかもしれない、と述べていることは注目に値します。ハイデガーは、ギリシャ以来の西洋の形而上学の歴史は存在忘却の歴史であったとして、別の形而上学を構想してます。ハイデガーは、西洋の伝統的な<有>の形而上学を超える<絶対無>の形而上学の形成という方向に向かっているということができます。

 したがって、伝統的な形而上学を超剋しようとする現代ヨーロッパの哲学と、東洋の伝統的な形而上学に踏まえた西田の絶対無の哲学の間には、世界哲学の形成に向けた稔り豊かな対話が可能となります。西田哲学の絶対無の論理を継承・展開してゆくということは、新しい世界哲学の形成と新しい世界文明の創出を相即的に実現する――という現代の切実な思想的・現実的課題に真正面から取り組むことにほかなりません。



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