『西田哲学で現代社会を観る』
(1992年 農文協刊) ⇒農文協「田舎の本屋さん」はこちら
内容紹介
公害・環境、消費、都市・農村、教育、医療、食・健康など生活領域の諸問題、さらには地球環境、資源・食糧、人口、民族、人権など全人類的な諸問題をめぐって、ローカル=グローバルに、さまざまな実践・運動が展開されている。
これらの諸問題は、飛躍的に高まった生産力が、日常的な生活と文化を破壊するという、現代社会の根本的な矛盾の現われにほかならない。近代が生み出した、客観的な自然認識に基づく自然改変の技術や、経済システムをはじめとする合理的な社会システムは、生産力の発展をつうじて、生活と文化の水準を高め、自由で主体性を持った個人をつくり出した。だが、今日では、それらの社会システムが客観的な固定性を帯び、それぞれの個人が個性的で創造的な素質と能力を全面的に発展させてゆくことを押さえつける、という事態が発生してきているのである。
したがって、これらの諸問題を合理主義的・客観主義的な社会認識の枠内でのみ捉えたのでは、その根本的な解決方向を示すことはできない。近代的な社会認識を根本的に転換させた、新しい社会認識の形成が求められている。西田哲学は、客観主義的・合理主義的な世界認識の根底の次元の存在構造を解明したものとして、新しい社会認識の形成に本質的な寄与をすることができるというのが、『西田哲学で現代社会を観る』の基本的な立場である。
近代の客観主義的・合理主義的な認識の基礎を形成したのは、ニュートン力学として体系化された近代自然科学であった。近代自然科学は、自然を主観と対置された客観とし、そこに働く普遍必然的な法則を数学的理性によって合理的に解明する、という立場を形成した。それによって、主観−客観二元対立の思考の枠組みが形成されたのである。
この思考の枠組みを社会認識論に適用し、近代社会科学としての経済学を形成したのが、アダム・スミスである。アダム・スミスは、市場経済システムを客観化し、そこに働く普遍必然的な法則を解明した。この思考の枠組みは、マルクス経済学、ケインズ経済学にも継承された。現在、近代的な社会認識の根本的な転換が求められているということは、この主観−客観二元対立的な思考の枠組みの根本的な転換が求められているということなのである。
ところが、相対性理論・量子力学という現代物理学は、自然科学の分野においてすでにその根本的転換を成し遂げ、新しい自然認識を形成したのである。だとすれば、その新しい自然認識の方法を社会科学の分野にも適用し、新しい社会認識を形成しなければならないことは明らかである。
では、西田哲学は、何ゆえにそのことに本質的な寄与をすることができるのか。それは、西田哲学が、大乗仏教思想の現代化という側面を有していることによる。西田哲学の最も基本的な概念である絶対無、絶対矛盾の自己同一は、大乗仏教の空、即非の論理を現代哲学的に表現したものということができるが、仏教はもともと、主観−客観二元対立的な次元の根底の実在界を、その固有の対象としているのである。空とは、その根源的な実在のことであり、即非の論理とは、それに貫徹する論理なのである。
したがって、大乗仏教の思想、西田哲学と、主観‐客観二元対立的な次元の根底を科学の立場において解明した現代物理学の認識との間に照応関係が見いだされるのは、当然のことなのである(これについては『現代自然科学と哲学』を参照)。西田哲学は、現代物理学の新しい自然認識を哲学的に基礎づけるものとして捉え返すことができる。このようなものとして、西田哲学は、現代の新しい自然認識に対応する社会認識を形成するという思想的課題に、哲学の立場から解決を与えることができる。
本書は、そのような観点から、西田の哲学的世界認識を、社会認識へと具体化している。西田自身は、社会科学的認識について「歴史的実在というものは単なる対象論理によって考えることはできない。対象論理の対象界の中には、働く自己というものは入ることはできない。然るに、歴史的実在の世界は働く自己を含んだものでなければならない。無論、対象論理の立場からも、歴史学というものが成立するであろう。又我々の行為的自己を対象とする社会的科学というものも成立するであろう。併しそれは自己を単に客観的に対象化することによって成立するのである、行為的自己を知的自己の立場から見たものである」(「論理と生命」)と述べている。
西田は、社会を客観的に対象化し、そこに貫徹する普遍必然的な法則を明らかにする――という近代社会科学の立場が有する本質的な限界を、このように指摘している。そのうえで、西田は、客観的に対象化された社会の根底の世界、即ち、働く自己を含んだ歴史的実在の世界を「創造的モナドロジーの世界」と呼んで、その存在構造を解明している。それは、「モナドが自己自身を映すことが世界を映すことであり、逆に世界を映すことが自己自身を映すことである。各々のモナドは一つの世界の種々なる観点からのペルスペクティーフ云うこともできるである。真の実在界というものは、個物と個物との相互限定の世界でなければならない」(「歴史的世界に於いての個物の立場」)というものである。
創造的モナドロジーの世界とは、すべての行為的自己が働きあうことによって、唯一の全体世界をそれぞれに固有な人格の内に表現するものどうしとして相互に調和する――という存在構造を有している。それは、相互に代替不可能な個性と独自性を有する行為的自己が相互補完的に全人格的生活を実現してゆく場所である(フッサールの「開放的モナドの共同体」も、同じ場所を現象学の立場から解明したものということができる)。
この創造的モナドロジーの世界に関する哲学的認識を、社会認識に適用し、客観的に対象化された社会の根底の次元の存在構造を具体的に解明しなければならない。そして、この根源的な社会認識に客観的な社会認識を包摂した全体的な知を形成することが必要となる。それによって、客観的な固定性を帯びた社会システムが、それぞれの個人が相互補完的に個性的で創造的な素質と能力を発展させてゆくことを抑圧するという事態、および、それを根拠として生じるさまざまな諸問題を、根底的に克服、解決する可能根拠を解明することが可能となる。
本書では、現代の社会的諸問題、即ち、農業生産、工業生産、消費、環境、都市問題、農村問題、教育、医療、食生活、に関して、新しい全体的な社会認識によって、それらの根本的な解決方向を示している。もちろん、新しい全体的な社会認識は、ここで取り扱われた諸問題のみならず、現代のローカル=グローバルな諸問題の総体を根底から統一的に解決する方向を示すものである。現在、各地でさまざまな問題の解決のための実践・運動を進めている多くの人たちが、そのような認識をわがものとして獲得し、みずからの実践・運動の普遍的・本質的意義をより鮮明に自覚して、新しい生活と文化の創造へ向かって、より広く、より深い連帯を形成してゆくことを願ってやまない。
そのために、本書では、西田哲学のカテゴリー、即ち、行為的直観、絶対矛盾的自己同一、表現と行為、歴史的現在、プラクシスとポイエシス、私と汝、環境と主体、が具体的にどのようなかたちで社会認識に適用されるのかを論述している。それぞれの個人が、自己の取り組んでいる実践・運動をこれらのカテゴリーによって捉え返すことによって、それを他のすべての実践・運動との総体的連関構造において、それらに共通する究極的な成立基盤から根源的に理解することが可能となる。
なお、西田哲学は、本書で主題的な考察対象とした存在次元のみを認識対象とするものではない。それは、超時間・空間的な無限絶対の実在界と時間・空間的な有限相対の実在界からなる全実在界を認識対象とするものである。本書で論述した全体的な社会認識は、そのような全実在界の真実相を捉えた哲学・形而上学の体系の内に包摂されることになる。そのことについては、『絶対無の哲学――西田哲学の継承と体系化』『創造的生命の形而上学――近代科学技術文明の超克』を参照していただきたい。
はしがき
? 現代社会の根本矛盾を西田哲学でとらえる
1 社会システムによる生活の支配
場所としての環境から切り離された諸個人
環境の人間形成力と人間の環境形成力の分断・収奪
より根源的で総体的な世界認識の形成に向けて
働く自己‐行為的自己を包摂できない客観的社会認識
世界と自己の根本構造をとらえる世界認識
客観主義を克服した新しい生活思想の獲得へ
2 新しいパラダイムとしての西田哲学
諸個人と世界が根源的に統一される創造的モナドロジーの世界
個性的な全人格的生活が成立する生の地平
創造的世界の創造的要素として働く行為的自己
歴史的生命の発現としての個性的な生活と物
農業生産にみる歴史的生命の表現と世界の自己限定
分節化された生の地平から形成される個性的なもの
歴史的生命の表現を抑圧する現代の社会システム
3 「創造的モナドロジーの世界」から個人−地域−世界をみる
世界経済システムによって中断される各地域の環境
途上国の「絶対的貧困」と先進国の「現代的貧困」
ナショナルな枠組を破った地球的規模の多国籍企業体制
新しい世界システムの形成へと向かうグローバルな共同性
「種的形成としての社会をつうじて世界に至る」
創造的モナドロジーの世界を固有に表現する各地域
? 現代の諸問題の解決方向を西田哲学で示す
1 農業生産 風土・耕地・作物・人の生きた系を「場所の論理」でとらえる
市場原理・工業の論理の農業への浸透と地域社会の破壊
客観的に対象化できないが風土・耕地・作物の生きた系
「場所の論理」によって静態的均衡系をとらえる
全自然と農業労働者が根源的に統一される農業生産
環境・風土の自覚として獲得する農家の知識
歴史的生命の自己限定としての個性的な生活・作物
2 工業生産 環境と人間との相互作用を媒介し制御する労働・生産システム
客観的な工業生産システムに包摂される労働者
自由な創造行為という性質を奪われている労働
好意的自己の身体の延長となる道具・環境世界
歴史的自然から形成される歴史的身体的自己
身体と自然が物となる近代的な工業生産システム
意識している生命活動の特質を全面的に発展性させる技術的基礎
歴史的生命の表現としての新しい生産システムの可能性
創造的モナドロジーの世界から再統合される農業と工業
3 消費 生活能力を高め個性的・全体的な人格を形成する消費のあり方
資本に従属させられる限度のない消費
画一的な大量生産体制と差異化の強制
歴史的形成作用としての生産と消費の関係
個性的な物の体系を享受し人間を生産する消費
歴史的身体の底から生じる生産物に対する欲望
全人格的生活を実現するための分配・交換の過程
消費者の生活能力を収奪する現代の消費システム
生産者と消費者の情報伝達・意思疎通のシステムの創出へ
4 環境 人間主体的な生態系・場所として人間形成力をもつ環境
歴史的に形成された環境と相互作用する人間
個性的な生活を実現するための社会資本の配置
独占資本の利益に従属する現代の社会資本の整備
収奪される人間の環境形成力と環境の人間形成力
人間主体的な生態系である環境としての自然
生物・人間が動的な調和を実現する場所の形成
5 都市問題 自然と人間との調和のとれた都市のアメニティの形成へ
固有性をもった都市環境の時間・空間的性格の変化
市場原理の生活環境への浸透によるアメニティの喪失
生活の場所としての都市の思想と全人格的生活の実現
人間主体的な生態系としての都市環境の形成
歴史的ストックとしての環境を破壊する市場原理
6 農村問題 「歴史的生命」の形成作用としての農業の公益的機能
生態系・視線環境の総体と直接つながる農業生産
非市場性をもつ地域資源と農業の生産構造の破壊
環境の人間形成力を高める農林業の公益的機能
世界の自己形成力の現われである「みえざる国富」
環境形成力を発現し全人格的生活の一環となる農業生産
地域資源の収奪から場所の論理に支えられた利用へ
歴史的生命という「見えざるもの」「形なきもの」をとらえる
7 教育 子どもと教師の相互応答関係と地域の教育力による全人格の形成
社会的強制として押しつけられる現代の教育システム
文化の伝達を媒介として個性的な人格を形成する
「私と汝」の相互応答関係としての教師と子ども
創造的要素である子どもの発達に積極的に関与する
相互的な創造的行為であり世界の自己形成である教育
教育システムを環境に包摂し学校を地域社会と再結合する
地域の教育力・生活力を高める学校と地域との統合
地域においてグローバルな時代を生きる人間形成
8 医療 「丸ごとの人間」をとらえる「生命」観への転換と医療システムの再編
近代医学の分析的研究方法と要素的人間観
全体的な人格をとらえるための生命に対する認識の転換
基準的な構造とその環境との能動的維持である生命
全人格的生活を実現する「健康」と不可能化する「病気」
「真の健康は病気を含み真の生命は死を含む」
自然治癒を促す医者と患者との相互応答関係
医療システムの再編と環境・地域との統合
場所の論理に裏づけられた生命観にもとづく環境の形成
9 食生活 環境と相互作用する「歴史的身体」をつくる「技術」と食生活の体系
環境から秩序をとり入れ身体を維持していく物質代謝
歴史的生命を表現する作物と歴史的身体の秩序の維持
環境と有機体・自己とを統一する農業技術・食の手法
歴史的自然が技術的に自己自身を形成する
自然環境との相互作用をつうじて形成された食文化
歴史的生命が表現された食文化を破壊する栄養素主義
? 西田哲学のカテゴリーを社会認識へ具体化する
1 行為的直観 世界を身体とする人間における働くことと見ることの統一
身体の「いま・ここ」を中心に対象を直接とらえる
見ることと働くことの矛盾的自己同一としての「行為的直観」
人間の意識した生命活動の根源的なあり方
身体の延長としての道具をもつ技術的身体の構成
創造的世界の創造的要素としての身体行為的自己
歴史的身体的自己と歴史的生命を表現する個性的な物
2 絶対矛盾的自己同一 全体的一としての創造的世界と個的多としての自由な自己
客観的物体の世界と主観的意識の世界との矛盾の自己同一的統一
行為的身体において根源的に統一される感性と理性
個人に固有の世界のうちに自己を表現する全体世界
個物的多が一般者に包摂されるヘーゲルの弁証法
場所の論理構造によるマルクス思想の基楚づけ
一般者としての自然と社会を限定し返す自由な個人
3 表現と行為 「歴史的生命」を表現する対象は人間を行為へと動かす
歴史的身体的自己が歴史的生命の表現としての物をつくる
有るもの以上の意味を表現している欲求の対象
欲求の対象に働きかける行動による自己表現
表現的意義をもった行動と人格的統一の成立
人間の生命発現と歴史的生命の形成・表現
4 歴史的現在(行為的現在) 時間と空間 過去と未来が統一される場所−「いま・ここ」
時間と空間が矛盾の自己同一的に統一される行為的現在
世界から焦点を結び自己を映す一点としての身体の「いま・ここ」
自由な創造となる歴史的世界の個物としての自己の行動
主観と客観を統一し新しい物の形を創造する構想作用
過去と未来が同時存在的な歴史的現在の論理的構造
創造的世界の個性的自己限定としての人格的統一・全人格的生活
5 プラクシスとポイエシス 物を形成することと自己を形成することとの統一
個性的・全人格的生活を実現するプラクシス
歴史的生命を表現する物をつくるポイエンス
プラクシスとポイエシスとの矛盾の自己同一
生産と消費と分配・交換の構造
生産と消費との矛盾的自己同一によって成立する経済社会
歴史的生命の歴史的種的形成の一形態としての経済社会
自己を規定する社会の普遍性を規定し返す独立・自由な個人
6 私と汝 人格と人格との働きかけ・働き掛けられる相互応答関係
行為的自己が相互に働きあっている根源的な場所の存在構造
歴史的生命が無数の焦点を結ぶ諸個人の制作の行為的現在
相互補完的に関係しあう諸個人の「私と汝」の関係
物の体系によって支配される市場経済システム
私と汝の行為を相互的に補完・媒介する社会システムへ
7 環境と主体 環境の人間形成力と人間の環境形成力による歴史的進展
環境が人間をつくり人間が環境をつくる歴史的世界の自己形成
外的には環境に内的には社会によって媒介される諸個人
創造的要素としての自由な個人が新しい環境と社会を形成する
歴史的生命の形成作用による歴史的進展
歴史的生命の自己実現と新しい社会関係の創出
? 社会認識を「場所の論理」で基礎づける
1 シンボル体系・社会システムと個人
シンボル性の情報と情報処理による生命活動の制御
シンボルを媒体に社会的相互行為体系・相互応答関係を形成
独立性をもった媒介者としての言語
自己と環境世界を関係づけるロゴス的身体
諸個人の相互行為体系である社会システムの形成
価値基準の制度化による社会秩序の形成
社会システムの固定化・自律化と諸個人の従属
2 制度的社会と「創造的モナドロジーの世界」
社会に限定された「客我」と行為的自己としての「主我」
自然と人間とが根源的に統一される歴史的生命の世界の自己限定
創造的モナドロジーの世界における行為的自己の働きと世界の形成
独立した諸個人がそれぞれに全体世界を映す
絶対無の場所からうみだされる新しい事物・観念と変革
叡智的一般者の世界から生じる創造のイデア
現代の社会システムを否定し新しい社会を創出するイデア
客観的社会認識を基礎づける西田哲学の論理
? 西田哲学で現代世界を歴史のうちに位置づける
1 自然史における人類史の位置――人間中心的な歴史観を克服する――
場所の論理による自然史と人類史の統一的把握
物質の世界における一と多との矛盾的自己同一の構造
生物における環境との相互作用と変化を含んだ自己同一性
場所の存在構造が高次元で具体化されている生態系
高次の発展段階にあって真に創造的となる人間の世界
歴史の創造的尖端としての自己と歴史的世界の自覚
2 人類史における現代世界の位置――自然と人間の統一・全人格的生活の実現へ――
マルクスの人類史把握の第二段階=資本主義的経済システム
人間の創造的素質を絶対的に創出する創造的モナドロジーの世界
第三段階は世界の根本構造を映す社会に
人間の創造的・素質・抽象的認識能力の生産力化
「人間産業」の発展による第三段階のための諸条件
利潤極大化という資本の目的に従属させられる人間産業
新しい理念にもとづく社会的共同的システムの創出に向けて
3 現代世界の歴史的展開方向――「歴史的生命」を表現する地域的−国際的システム――
全世界的規模に拡大した経済システムと相互依存性
国際関係に導入するべき正義の原理・新しい価値理念
世界の根本構造から成立するイデア
新しい政治システムにおける分権化・国際化・文化化
新しい価値理念とグローバルでローカルなシステムを
あとがき