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『近代的自然観と哲学 (現代の科学と哲学)

                                                                                                                                (1984年 農文協刊)  ⇒農文協「田舎の本屋さん」はこちら

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内容紹介

 近代合理主義の限界と超克について、さまざまに語られてきた。しかし、それらの議論の多くは、近代合理主義の立脚する方法的立場とはどのようなものであり、その方法的立場そのものが有する本質的限界とは何か、ということを明確に把握したうえで為されたものではなかったために、ほとんど力を持ち得なかった。

 近代合理主義の超克について語るならば、その基礎を形成したのが近代自然科学であったということを再確認しなければならない。近代自然科学の合理的な自然認識に基づいてこそ、近代社会の形成も可能になったのである。その近代社会の分析に、近代自然科学的認識方法を適用することによって、社会科学としての経済学が形成された。また、古代・中世の形而上学的思考から解放された近代自然科学的認識を基礎づけることによって、近代西洋哲学は自己形成を遂げてきたのである。

 ところが、相対性理論・量子力学という現代物理学は、近代自然科学とは根本的に異なる自然認識の方法・自然像を形成した(このことについては、『現代自然学と哲学』で主題的に考察してある)。現代物理学は、近代自然科学の方法的立場によっては認識することのできない次元を対象としている。それは、近代合理主義の方法的立場が持つ本質的限界が何であるか、ということ自然科学の領域において明確にしたものということができる。

 現代物理学は、近代自然科学が対象としたのと同一の次元に於いて新たな自然像を形成することによって、近代的自然像を誤ったものとして否定したのではない。現代物理学は、近代自然科学の有効範囲を厳しく制限し、それが対象とする自然の根底については、近代自然科学の認識方法はもはや有効ではなく、それとは根本的に異なる認識方法が必要となる、ということを明らかにしたのである。近代自然科学の自然認識は、現代物理学の自然認識によって根拠づけられることによって、総体的自然認識の然るべき次元に位置づけ直されるのである。

 このことは、単に自然科学だけでなく、近代合理主義一般についても言えることである。即ち、社会科学、哲学の分野においても、近代的社会認識、世界認識は、その根底の次元に関する社会認識、世界認識によって根拠づけられるなければならないのである。本書は、そのような観点から、近代合理主義がギリシャ・中世の自然学、哲学の何を継承し、また内容を変革することによって形成されてきたのか、そして、その思考様式の特質がいかなるものであるかを、自然科学、社会科学、哲学について具体的に確認することを通じて、同時に、その本質的限界とはなにかを明らかにする、ということテーマにしている。

 近代自然科学は、生成変化してやまない自然現象の根底に永遠不変の実体の存在を認める――というギリシャ・中世の形而上学的自然像、世界像を克服することによって形成された。近代自然科学は、現象の根底の実体が何であるかを問うことなく、自然現象を主観から完全に切り離された客観として、それを支配する法則を数学的理性によって合理的に把握する――という立場を確立した。経験的実証と数理・論理的論証という方法に基づいて、自然を単一の法則が支配する領域として公理的に規定する――という新しい立場を体系化したのが、ニュートン力学である。

 ニュートンの合理的な力学体系は、それ自体として完結するのではなく、経験的実証と数理・論理的論証論という方法によっては捉えることのできない絶対時間・絶対空間を前提としている。絶対時間・絶対空間は、万物の創造者である神によって構成されたものなのである。

 ニュートンの力学体系は、形而上学によって根拠づけられているのである。此の点において、ニュートンの総体的世界認識は、合理主義の枠内においてすべての現象を力学的に説明しようとする後代の力学的自然観とは根本的に異なっている。だが、そのことを、ニュートンが古代・中世の形而上学的思考を脱却し切れていないこととして否定的に評価してはならない。合理主義的認識の限界をはっきりと意識していたところに、ニュートンの偉大さがある。力学体系をその根底の形而上学的次元に根拠づけたニュートンの世界認識の根源性と総体性は、現代物理学と対応させることによって新たな可能性を持ったものとして蘇ってくるのである。

 経済学を形成したアダム・スミスについても、同じことが言える。アダム・スミスは、近代科学の自然認識の方法を社会認識に適用した。即ち、彼は、自然の世界を支配する法則同様に、「客観」としての社会を支配する「自然法則」を合理的に認識しようとしたのである。「客観」としての経済社会に貫徹する「自然法則」としてスミスがあげるのが、個人が利己心に基づいて自由競争を行なった結果、「神の見えざる手」に導かれて自然必然的に実現する「自然価格」にほかならない。アダム・スミスは、それによって社会にも自然同様に秩序と調和が成立するとしたのである。

 アダム・スミスの経済学は、神の見えざる手の働きによって自然価格メカニズムを通じて実現される秩序と調和を、人間の理性によって経験的に実証しようとするものであった。アダム・スミスの経済学も、ニュートンの力学と同じように、合理的に認識し得る社会の根底の形而上学的次元に根拠づけられているのである。

 ニュートン、アダム・スミスに哲学の分野で対応するのが、カントである。カントは、自然を主観と完全に切り離し、客観的に記述する、という近代自然科学の認識方法を哲学的に基礎づけることによって、「主観−客観」という近代的思惟方式を形成した。カントは、理論的認識の及ぶ範囲は現象の世界であって、現象の背後にあると思われる物自体には及び得ない、という立場をとった。これは、科学の認識対象領域を自然現象に限定し、現象の根底の実体が何であるかは問わない――とする近代科学の方法的立場を哲学的に捉え返したものである。二元的に対立する主観と客観の根底には物自体の世界が存在しているのである。

 その物自体の世界を認識対象とすることによって、主観と客観の対立を克服しようとしたのが、ドイツ観念論である。こうして、ヘーゲルの主観−客観統一の弁証法という新しい方法の確立を見ることになった。それは、自然の世界ではなく、主観−客観の動的統一過程としての歴史的世界を把握し表現する論理の形成、という意味を有している。

 マルクスは、ヘーゲルの弁証法を、アダム・スミスの経済学が対象とした経済社会の分析に適用した(マルクスがヘーゲルの弁証法を具体的にどのようなかたちで適用しているかは、『「資本論」と場所的経済学』において『大論理学』と『資本論』を対応させて論述している)。それによってマルクスは、資本主義的市場経済システムに貫徹する運動法則を解明したのである。それが、『資本論』の体系にほかならない。弁証法は、社会存在の論理になったということができる。合理的な弁証法によって解明し得るのは、客観化された経済社会である。

 だが、客観化された経済社会の根底には、人間と自然との間の物質代謝の一般的条件である労働過程が置かれている。これは、マルクスの自然主義=人間主義の思想に基づくものである。マルクスの自然主義=人間主義は、主観−客観対立関係の根底の主観−客観相補関係を捉えたものということができる。これは、現代物理学が科学の立場から解明しているところのものにほかならない。量子力学が対象とする領域においては、もはやニュートン力学のように自然の客観的記述は許されなくなった。それが対象としているのは主観−客観相補的な世界なのである。

 だとすれば、現代物理学の新しい自然認識を社会科学、哲学に適用し、主観−客観対立関係の根底の次元を科学的・理論的認識対象とし、ヘーゲルの弁証法とは異なる論理によって、その存在構造を具体的に解明することこそ、現代の根本的な思想課題といわねばならない(『「資本論」と場所的経済学』では、『資本論』の根底の次元の存在構造を、フッサールの現象学、西田哲学の場所の論理を適用して具体的に解明している)。それによって、近代合理主義を根本的に克服することが可能となる。

 

目次

 序

第1章 ギリシャの自然学・哲学と現代

 第1節 自然哲学の端緒フュシスから精神の原理ノモスへ

 第2節 プラトンのコーラと現代物理学の「場」における実体否定

 第3節 西洋の論理を貫いてきたアリストテレスの形而上学

第2章 キリスト教哲学と中世の自然観

 第1節 「無からの創造」を説く教父哲学による物質観の転換

 第2節 トマスにおける実証的・主体的自然認識の端初

第3章 近代自然科学における客観的自然

 第1節 ベーコンの新オルガノンとガリレイの合理主義的自然認識

 第2節 アリストテレスの自然認識を変革したケプラーとガリレイ

 第3節 ニュートンの力学的自然観を支える絶対時間・絶対空間

 第4節 古典的物理学の領域を超える現代の量子力学的自然像

第4章 近代哲学による自然科学の認識批判

 第1節 デカルトの物心二元論と現代自然科学・現象学による超克

 第2節 ニュートン力学の哲学的反省としてのカントの「主観‐客観」

 第3節 カントの「物自体」を解明する現代物理学と大乗仏教の論理

第5章 ドイツ観念論における歴史的世界の論理

 第1節 フィヒテによる近代的実在の表現とシェリングの同一哲学

 第2節 弁証法をもって認識論と存在論を統一したヘーゲル哲学体系

 第3節 歴史的存在における主‐客統一の論理から社会存在の論理へ

第6章 イギリス古典経済学とヘーゲル哲学の並行性

 第1節 近代市民社会の「自然法則」を認識するスミス経済学の超歴史性

 第2節 ヘーゲルにおける市民社会の理念での自己完結への批判

第7章 マルクスよる社会存在の論理の形成

 第1節 近代市民社会の弁証法的経済学批判『資本論』の科学性

 第2節 自然主義=人間主義と現代自然科学・仏教の即非の論理

終章 根源的自然に於ける全体と個――相対性理論・量子力学・分子生物学と社会存在の論理――

 あとがき

 引用文献 

 


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