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『現代自然科学と哲学 (現代の科学と哲学)

                                                                         (1985年 農文協刊)  ⇒農文協「田舎の本屋さん」はこちら

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内容紹介

 相対性理論と量子力学という現代物理学の二大理論体系は、「科学革命」を達成したニュートンの古典的力学体系を根底的に転換させた新しい自然観を形成した。現代自然科学は、「第二の科学革命」を為し遂げたということもできる。現代物理学の革命とは、単に自然科学の領域に限定されるものでもなければ、物理学の基本カテゴリーの改変にとどまるものでもない。それは、近代的な世界認識の方法的立場を根本的に転換させたものであった。しかし、その意味は、哲学的に十分明らかにされてはいない。

 『現代自然科学と哲学』の目的は、現代哲学を現代物理学と対応させ、両者を相互媒介することによって、現代の新しい世界認識がどのようなものであるかを具体的に解明してゆくことである。

 近代の科学革命は、生成変化する自然現象を、超自然的な形而上学的実体を原理として説明づけた――古代・中世の自然観を転換することによって成し遂げられた。すなわち、近代自然科学は、自然現象の背後にある原理としての形而上学的実体が「何であるか」を問うことをしない。そこで問題となるのは、現象が「いかに」あるかという現象相互間の因果関係・法則の解明だけである。

 自然は、経験から帰納される公理と、そこから導き出される定理との完結した体系として、数学的に表現されるものとなった。それが、主観と完全に切り離され、客観として記述される自然である。この方法によって、全宇宙を重力の法則という単一の法則が支配する力学的体系として捉えたのが、ニュートン力学である。

 科学としてのニュートンの力学体系は、一つの公理化された体系として完結している。しかし、ニュートン自身は、力学的体系の背後に、重力の法則あるいは、それによって表現される重力を支配する神の存在を認めていた。ただ、ニュートンは、それを科学の対象とはせず、神学・形而上学に委ねた。力学的自然観は、力学的には理解することのできない電気現象・磁気現象が出現したことによって危機に陥った。

 この古典物理学の危機は、相対性理論・量子力学という現代物理学によって克服された。現代物理学は、ニュートン力学の有効範囲を厳しく制限し、その根底の次元を物理学的に認識するための新しい方法を確立した。それは、ニュートンが神学・形而状学に委ねた次元を物理学的に解明し、それによってニュートン力学を基楚づけたものということができる。

 ニュートン力学の対象としての宇宙は、無限で均質な空間と、永遠で一様に流れる時間を枠組みとしており、時間と空間とは相互に無関係であった。それに対して、アインシュタインの相対性理論が対象とする宇宙は、三次元の空間と一次元の時間を合わせた四次元の時空連続体である。この宇宙は、光を常に一定の速度で伝える。つまり、どのような速度で運動している座標系で測っても、光の速度は常に毎秒30万キロメートルという値を示すのである。したがって、相対的な速度の異なる座標系の時間・空間は当然、異なることになる。

 この宇宙においては、無限で均質な空間と永遠で一様に流れる時間の存在は否定されるのである。すべての座標系(個)は、それぞれに固有の時間座標と空間座標に従って同一の四次元宇宙(全体)を表現するが、すべての座標系で自然法則が同一のかたちで成り立つ(光の速度はどの座標系で計っても毎秒30万キロメートル)ことで、すべての座標系が相互に調和と統一を保っている。

 相対性理論が巨視的現象を対象としたのに対して、量子力学は微視的現象を対象としている。この領域においては、観測ということが問題となってくる。物理学において観測を行なうということは、測定主体が対象に働きかけを行ない、その結果、観測操作が対象に影響を及ぼし、一定の状態を作り出す、ということを意味している。巨視的現象を対象とする古典物理学の場合は、観測操作が対象に及ぼす影響を無視することが可能であった。だから、古典物理学では、自然を、観測者から完全に切り離し、客観として記述することが可能だったのである。

 ところが、微視的現象を対象とする量子力学の場合には、観測操作が対象に及ぼす影響を無視したり、主体と対象との相互作用を捨象することが不可能になる。主体と対象とは観測操作という身体的行為において、相補的に統一されるのである。したがって、量子力学では、主観から完全に切り離された客観としての自然記述は不可能になる。 

 現代物理学は、ニュートンが神学・形而上学に委ねた領域を、科学の認識対象として分析することによって、新しい時間・空間関係、主体・対象関係、全体・個関係、個・個関係を確立した。

 ニュートン力学を哲学的に基礎づけることによって、主観・客観二元対立的な思考の枠組みを形成したカントは、『純粋理性批判』において、人間が認識できるのは現象だけであり その根底にあると思われる物自体を認識することはできない、とした。これは、生成変化する自然現象のみを認識対象とし、その根底の形而上学的知的実体が何であるかは問わない――とする近代科学の立場と対応するものである。

 フッサールは、そのことに関して、原理的に認識不可能な物自体というようなものへの不合理な推論に従事するのでのではなく、ひたすら認識の能作の体系的解明に従事する先験的、現象学的認識論こそが真の認識論である、としている。現代哲学は、カントが認識不可能とした物自体の世界を認識対象とし、その存在構造を解明しているのである。フッサールは、哲学は近代自然科学的方法を模範としたために客観主義に陥ったと批判する。これは、近代哲学の主観−客観二元対立的な思考の枠組みに対する批判にほかならない。

 フッサールは、主観−客観二元対立的な世界から現象学的還元という方法によって、その根底の世界へと還帰する。そこに彼は、「純粋意識」を見いだした。純粋意識とは、対象を構成する志向作用であるノエシス的契機と、志向され構成された対象であるノエマ的契機という二つの構造契機の相関関係である。フッサールの現象学を存在論的に展開したハイデガーは、主観と客観との二元対立的関係の根底に、存在と人間との相関的共属関係を見いだし、それを「世界−内−存在」と呼んでいる。これらの思想は、量子力学が主観と完全に分離された客観としての自然記述が不可能な存在次元を認識対象としていることと対応するものである。

 フッサールは、この領域を、各人が同一の全体世界をそれぞれ固有のかたちで表現するが、それらの個人の間に調和が成立する――という存在構造を有するものとして解明している。フッサールは、それを「相互主観的世界」と呼んでいる。これは、アインシュタインが相対性理論において解明した四次元時空連続体としての宇宙における、全体と個、個と個の関係に対応するものである。現代哲学は、主観−客観相補的世界を、全体と個がいずれか一方に還元されることなく、それぞれが独立性を保ったまま統一され、すべての個がそれぞれ独立性を保ったまま調和する――という論理的構造を有するものとして解明している。

 以上、見てきたようなかたちで、現代物理学と現代哲学を対応させ、両者を相互媒介することによって、近代哲学の存在論・認識論・論理学を根本的に転換させた、新しい存在論・認識論・論理学を具体的に形成することが可能となる。そのような観点から見るとき、大乗仏教の思想が、現代において、極めて大きな可能性を有している、ということが明らかになる。大乗仏教は、主観−客観二元対立的世界の根底を真実在界とみなす立場に立って思想体系を構築してきたからである。

 本書では、そのうち、天台と華厳の思想、特に華厳の事事無礙法界の思想に言及している。事事無礙とは、それぞれの立場から自己のうちに全宇宙を表現するすべての個物が、それぞれ独立を保ちながら、互いの分限を守って妨げることなく網の目のように互いに入りあい(相即相入)、全体として調和を保っている、ということである。これは、相対性理論の四次元時空連続体としての宇宙、フッサール現象学の「相互主観的世界」と同一の論理的存在構造である。大乗仏教の思想は、現代物理学と対応させることによって、現代西洋哲学が取り組んでいる根本的な思想課題の解決に大きな貢献をすることができるのである。

 本書では、近代自然科学が神学・形而上学に委ねた次元を、現代物理学が科学の認識対象としているということを明らかにした。科学の対象であるかぎり、その次元は、時間・空間的な有限相対的世界である。だが、実在の学という意味での形而上学は、時間・空間的な有限相対的世界のみを対象としているわけではない。それは、時間・空間的な有限相対的世界と超時間・空間的な無限絶対の世界の総体の真実相を解明する学である。したがって、本書で考察された現代科学・哲学の新たな世界認識は、『絶対無の哲学』『創造的生命の形而上学』において具体的に展開されている全実在界を対象とする真理認識のうちに統合されなければならない。

 

目次

 序

第1章 近代自然科学・近代哲学と現代

 第1節 ニュートン力学の矛盾する二つの世界像と現代物理学よる批判

 第2節 カントの認識論と物自体を開明する現代物理学・哲学の論理

第2章 力学的自然観と新カント派の哲学

 第1節 神を追放した力学的自然観における世界認識の一面性

 第2節 新カント派による科学的認識批判の論理主義化と存在からの乖離

第3章 電磁場理論とマッハの哲学

 第1節 新しい物質観「場」を形成した電磁場理論とエーテルの否定

 第2節 実体を関数的相互依存関係に還元するマッハの過渡的世界像

第4章 相対性理論と根源的実在世界

 第1節 アインシュタインの相対性理論による四次元時空と場の理論の確立

 第2節 相対性理論の世界における全体と個の絶対矛盾的自己同一

第5章 量子力学と統一的世界認識

 第1節 微視的世界の二重性を解明した量子力学による不連続的自然観

 第2節 古典的因果律を否定した不確定性関係から相補性の原理の確立へ

 第3節 現代素粒子物理学の統一理論と世界の論理構造としての「全即個」

第6章 現代西洋哲学と現代物理学

 第1節 フツサールの現象学における根源的存在次元の哲学的解明

 第2節 無を主題とするハイデガーの存在論と仏教の天台・華厳の思想

結語

 あとがき

 引用文献

 


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