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       『知の転回』   (1986年 農文協刊)

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内容紹介

 本書は、私の全著書において「入門編」というべき位置を占めている。そのことからして、冒頭の「この本へのオリエンテーション−まえがきにかえて」は、本書だけでなく私の全著書のまえがきと言うこともできる。私の全著書の理論・思想内容および、そのめざすところをよりよく理解してもらうために、以下、全文を掲載する。なお、本書は、1985年に農文協で行なった7回の連続講義の内容を再構成し、加筆修正したものである。

 現代社会においては、ひとりひとりの人間が、それぞれかけがえのない個人として、自己同一性を保って生きてゆくことが、ますます困難になってきています。また、諸個人が、各自の個性と独自性を保持したままで相互に関係をとり結び、それによって、お互いの生活をより充実したものとしてゆく可能性も、極めて小さいものになっています。

 現代ほど、個人が多様で複雑な関係をとり結んでいる時代は、かつてありませんでした。しかし、そのような諸関係が、それぞれの個人を中心として全体的に統御され、確固たる個性の実現へとつながるのではなく、逆に、自我を拡散させ、アイデンティティの解体へと向かわせているのが、現代です。そのため、諸個人の労働・生産、生活におけるさまざまな実践は、自己実現・自己確認という性格をますます希薄にしてゆきます。

 経済合理性だけでなく、社会のあらゆる領域で合理化が推し進められ、管理社会化が進行しています。個人は、合理的に管理される客体として、その生き方・考え方を画一化され、相互に分離されています。人間は、ひとりひとりが相互に取り替えることのできない個性と独自性をもてばもつほど、それらを相互補完的に結合することで、単純総和以上の力を産み出してゆく存在です。社会の歴史的発展も、個人の生活の充実も、それによって可能となったのです。にもかかわらず,もっとも進歩した現代社会においては、そのような人間の本質に相反する傾向が支配的になっています。そのような社会の傾向は、当然のことながら、諸個人の生活とのあいだに深刻な矛盾・軋轢をひき起こさずにはおきません。

 それが、今日みられるような、さまざまな社会問題として、諸個人の日常生活のあらゆる面に噴出しているのです。それらは、食べ物、環境、教育、家庭、医療、労働など、人間の身体と精神のすべてにかかわっています。そして、それを解決するために、さまざまな運動・実践が展開されています。たとえ、運動というはっきりしたかたちをとらないとしても、ひとりひとりの個人が日々の生活の過程で、そのような問題の解決を迫られています。

 それらの問題のひとつひとつは、一見すれば、高度の政治性や社会性をもった問題に比べて、非常に個別的で些細なものにみえます。しかし、それを解決してゆくことによってしか、諸個人が主体的に固有の生活・生活史を実現してゆくことが困難となっているという点において、それらはより根源的なものであるといわねばなりません。

 だから、さまざまな問題を直接的に結びつけてげるだけでは、真の解決に至ることはできません。日常生活のうちにさまざまなかたちをとって生起する問題の総体を、それが出てくる共通の根源から統一的に把握するとともに、それらの解決ための諸実践が、それぞれの個人が全人格的な存在として自己実現をなしとげ、固有の生活史を形成してゆく――という基本方向に向かってなされるべきです。ひとりひとりの個人が、そのような基本目標に向かって、それぞれの生活の場で、自己を中心とする対自然・対他関係を具体的に組み替えてゆく必要があるのです。諸個人の生活と思想の画一化を許さないような関係性・共同性を、具体的な生活の場で創出してゆかねばなりません。

 社会関係によってもたらされる諸矛盾に対する運動・実践を、個別課題のよせ集めとして拡散させるのではなく、不断に組み替えられる諸関係の総体を、あらゆる個人の固有の生活という中心に向かって凝縮させてゆく、という視点が必要とされているのです。そのためには、生活者大衆のひとりひとりが、共通の生活の場である自然と社会のうちにおける自己の位置を、しっかりと見定めることのできるような世界観を獲得してゆくことが必要であり、それに従って自己の生活を律してゆかねばなりません。この場合の世界観とは、抽象的な理論や壮大な哲学体系を直ちに意味してはいません。それは、生活者大衆の行動をもっとも根本的なところで律する、ものの見方・考え方のことです。

 問題の解決をめざす実践は、たとえ表層的にどのように先鋭なイデオロギーに導かれていようとも、それを支える基本的な知の枠組みが、社会の合理化、人間の画一化を結果させた既成のそれを根本的に転換させたものとならないかぎり、本質的な解決が得られないどころか、体制の側にとり込まれる危険性すら孕んでいるのです。

 現代社会を、そのもっとも深いところから規定している近代的な知の枠組みに替わる、新たな知の枠組みが求められています。人間がそこにおいて生きる環境としての自然・社会と、諸個人の生活との相互関係を、どのようなものとして形成してゆけば、諸個人の具体的な生活の場で、それぞれの自由と個性を最大限実現することが可能になるか――その基本方向を示しうる、新しい自然認識・社会認識の基礎となる知の枠組みが求められているのです。

 私たちは、そのような新しい知の枠組みの原型を、相対性理論・量子力といった現代物理学が形成した、新しい自然認識のうちに求めることができます。現在、その乗り越えがめざされている近代的な知の枠組みも、その原型を形成したのはニュートン力学に代表される古典物理学でした。古典物理学の自然認識の方法が,一般的な知の枠組みとなり、他の諸科学の認識方法を規制するとともに、生活者大衆のものの見方・考え方にまで具体化していったのです。現代社会の諸矛盾もまた、その結果として生じてきたのです。

 だとすれば、それら諸矛盾を根本的に解決するためには、現代物理学が形成した、古典物理学のそれとは根本的に異なる自然認識を、一般的な知の枠組みとして形成するとともに、それによって、自然および社会と諸個人の生活との本質的連関を把握する、という理論的作業を欠かすことはできません。真の意味での新しい哲学が求められているのです。

 現在、知の枠組みは、そのような根底的レベルから、その転換が迫られています。そして、新しい知の枠組みが、諸個人の具体的な生活過程にまで浸透してゆき、それぞれの個人の対自然・対他関係を根本的に組み替えてゆくことが必要です。生活者大衆の新しいものの見方・考え方は、現代の科学と哲学の最先端の成果のうえにしっかりと踏まえたものでなければ、生活の質を転換させるだけの現実的な力となることはできません。安直な実用哲学や、近代を超えたと称する流行思想によっては、どのような個別的な問題も、根本的な解決にもたらすことはできないのです。しっかりとした世界認識論に支えられてこそ、現代がどのような時代であるかを真に理解し、それを超えてゆく方向性を明らかにすることができるのです。

 この本では、以上のような観点から、現代物理学の自然認識を基礎として形成される新しい知の枠組みがどのようなものであり、それによれば、真に自由な個人の可能根拠を明らかにしうる自然認識・社会認識・歴史認識がどのような形で形成されるか――について叙述してあります。アインシュタインの相対性理論をはじめとして、一見、生活者の日常生活とはほとんど無関係にみえる科学や哲学の理論も、現実に生起する諸問題を解決するための具体的な生活思想の形成、という基本方向に沿って考察されています。

 したがって、これまで、科学や哲学の専門的な理論にほとんど接してこなかった人たちにも、できるだけわかりやすく叙述するよう努力しました。しかし、そのために現代の科学と哲学が到達した議論のレベルを、いささかでも落とすようなことはしていません。読者は、この本に、ただ学説を羅列しその内容を要約しただけの通俗的な概説書の「わかりやすさ」や、個別の問題の安易な解決策を求めることはできません。そのようなものが、大衆のための理論であるとすることは傲慢であり、一種の大衆蔑視であると私は考えます。

 科学や哲学は、もともと、生活者大衆の現実的生活を具体的基盤として形成されたものです。だから、どのように高度の抽象性をもった理論であろうとも、その核心、すなわち世界認識の方法は、再び大衆の生活のうちへ還帰し生活思想にまで具体化することで、ひとりひとりの個人の全人格的生活を最大限実現にしてゆくものとならねばならないし、また、そうすることができるのです。

 そのためには読者の側にも、理解するための努力が求められます。読者のひとりひとりが、自己の労働・生産、生活の場での経験と、そこに生ずる諸問題から目をそらすことなく、その最も深い根拠にまで追求してゆくだけの意志力と問題意識を持続してゆくことができるならば、現代科学と哲学の世界認識の根本がどのようなものであるかを、必ず理解することができるでしょう。また、それによって、ものの見方・考え方を、より深く広いものにしてゆくことができるはずです。そのような個別的で具体的な実践と思策を通じてしか、既成の知の枠組みを生活レベルで揺り動かし、転換させてゆくことはできないのです。

 そうはいっても、本書の上・下二巻に展開されている全内容を通読することは容易なことではありません。そこで、本書のテーマと全対象領域がどのようものであるかを、第一講に総説としてまとめて叙述してあります。また第二講以下の各講も、それぞれが取り扱っている主要テーマだけについて論じるのではなく、それが全体的な連関で占めている位置が理解できるよう、それなりの完結性をもたせています。したがって、第一講を読めば、それぞれの読者にとって関心のあるテーマを扱っている講に直接入っていっても、一定の理解を得られるはずです。また、同一のテーマが別々の講において、違った文脈のもとで繰り返し論述されていることも、そのような読み方を助けることと思われます。それぞれの講のテーマを簡単に紹介しておけば、次のようなものです。

 第一講「総説 科学および哲学と生活」では、科学および哲学が、現実的諸個人の具体的な生活とどのような本質的連関にあるか――という観点から、近代自然科学と現代自然科学の認識方法の違いに言及するとともに、新しい知の枠組みの形成の方向性が提示されています。

 第二講「近代自然科学の合理的自然観」では、現在、その乗り越えがめざされている合理主義的な知の枠組みの基礎を形成した――近代自然化学の自然観の特徴が、どのようなものであるかが明らかにされています。そして、それが一般的な知の枠組みとなって他の諸科学に貫徹し、汎科学主義・汎合理主義といった態度を結果させた過程が考察されています。克服すべき対象がどのようなものかをしっかり認識しようというのが、この講の目的です。

 第三講「現代物理学の新しい世界認識」では、相対性理論、量子力学、場の量子論という現代物理学が形成した新しい物質観・自然認識が、どのようなものであるかについて論述しています。そして、新しいい自然認識を哲学的にとらえ返すことで形成される、新しい存在論・認識論・論理学的立場がいかなるものかが解明されています。新しい知の枠組みの基礎となる世界認識の方法が、提示されているわけです。

 第四講「生物の世界の新しい論理」では、現代物理学の自然認識を基礎とする哲学的立場によって、生物・人間の世界の存在構造を解明すべく、まず生物の世界がとりあげられています。新しい哲学的立場に立って、分子生物学の解釈が行なわれるとともに、生物の共同体としての生態系の本質の把握がなされてゆきます。そして、それを、さらに人間の世界へと展開してゆく方向性が示されています。

 第五講「近代の哲学と社会科学の展開」では、近代自然科学を基礎づけることによって確立された近代哲学の思惟方式の特徴がどのようなものであり、それが、どのようにして近代社会科学の形成へ結びついたのかについて論じられます。そして、近代哲学、近代社会科学の限界を、新しい哲学的立場によって克服してゆく可能性が明らかにされています。

 第六講「現代の哲学・現象学の可能性」では、近代哲学を乗り越え、それを基礎づけるものとして、フッサールの現象学がとりあげられています。そして、フッサールの生活世界の分析を社会認識にまで展開することで、現実的諸個人の生活過程をその根底から把握する、という作業が遂行されます。現代科学・哲学の認識方法が、大衆の生活の本質の認識というところまで具体化されたことになります。

 第七講「新しい社会・歴史認識の形成」では、新しい社会認識にもとづく歴史の把握が行なわれています。社会の歴史的発展と、諸個人に固有の生活・生活史の本質的な連関構造が示されています。それによって、現代がどのような時代であり、その根本的矛盾がいかなるものであるかが、諸個人の生活との連関において解明されます。そのことは、現代社会において生きる諸個人が、その具体的な生活の場で、それぞれの個性・独自性を最大限発現させてゆけるような関係性・共同性を創出してゆく、基本的方向性を提示することでもあるのです。 

 

目次

(上)――生活世界の最深層から――

 この本へのオリエンテーション――まえがきにかえて

第1講 総説 科学および哲学と生活

 序 自然・社会と生活との矛盾・対立

  (1) 現代社会の諸矛盾と合理的な思考の枠組みへの批判

  (2) 環境と人間との相互作用を変革する新しい知の枠組み

 1 近代自然科学的認識と現実的生活

  (1) 現実的な力をもつ近代自然科学批判へ

  (2) 「客観」的自然と普遍的「主観」との二元分離

  (3) 現実的諸個人の具体的な生活の本質構造

  (4) 具体的生活の基盤から抽象された合理的認識

  (5) 近代技術の限界と根源的技術による媒介

  (6) 客観化された社会の法則を認識する:経済学

 2 近代合理主義を超える知の枠組み

  (1) 新しい知の枠組みの基礎を形成した現代物理学

  (2) 客観的世界の根底を解明する現代西洋哲学

  (3) 仏教思想・西田哲学の可能性と新しい世界認識

第2講 近代自然科学の合理的自然観

 1 近代が乗り越えた古代・中世の自然観

 2 近代自然科学による自然の客観化

  (1) 経験的現象の因果関係を数学的に表現

  (2) ニュートン力学の完結した体系としての自然

  (3) 客観化・合理化された自然と普遍的主観・数学的理性

 3 近代諸科学の合理的な知の枠組み

  (1) 自然科学における機械論・要素論の展開

  (2) 社会を「客観」として必然的法則を解明する経済学

  (3) 近代諸科学の理論的成果と本来的限界

 4 汎科学主義・汎合理主義の貫徹

  (1) ニュートンの世界観における二つの領域の存在

  (2) 機械論的・決定論的な自然科学への徹底

  (3) 経済決定論へと純化した社会科学の限界

 5 近代的な知の枠組みの超克

  (1) 現代物理学の新しい自然観と自然認識の方法

  (2) 新たな知の枠組みの生物・人間の世界への展開

第3講 現代物理学の新しい世界認識

 1 近代的自然観の特徴と本質的限界

 2 根源的実在界を解明する相対性理論

  (1) 現代物理学が対象とする現象の背後・根底の世界

  (2) 新しい実在「場」の形成と絶対的基準系エーテル

  (3) アインシュタインの相対性理論における四次元時空

  (4) 四次元時空世界の存在構造と新たな認識・論理

  (5) 世界の二つの存在次元の解明による総体的認識

 3 量子力学の自然観と根源的世界認識

  (1) 創造的世界における物質の二重性と不確定性関係

  (2) 自然・世界認識の基本的形式の変革と人間の自由

  (3) 主観‐客観二元分離の根底にある根源的相互関係

  (4) 場の量子論の新しい物質観と根源的実在界の論理

  引用文献

 

(下)――「社会と歴史」の基層から――

第4講 生物の世界の新しい論理

 1 近代的な知の枠組みによる生命観

  (1) 機械論・要素論的な近代的生命観・生物観の形成

  (2) 新しい生気論の登場とカントの目的的論的原理

  (3) 機械論と生気論との対立を克服する新たな生命観

 2 現代生物学が開示する根源的実在界

  (1) 分子生物学による生命現象の解明と現代の機械論

  (2) 生物体における「情報」の本質的的役割とエントロピー

  (3) 新たな知の枠組みによる生物の世界の本質的把握

  (4) 環境と個体との相互作用・動的統一としての生命

  (5) 全自然と生物個体の調和と共同体としての生態系

 3 人間の世界への展開と総体的認識

  (1) 意識・言語をもつ人間の世界の根源的存在構造

  (2) 新しい知の枠組みによる世界と歴史の総体の把握

  (3) 近代社会科学と生態系とを媒介する根源的共同体

第5講 近代の哲学と社会科学の展開

 1 近代哲学による自然科学の基楚づけ

  (1) 主・客二元的な知の枠組みの特徴と本質的限界

  (2) カントによる近代的思惟方式「主観−客観」の確立

  (3) 人間の自由を基楚づけた「物自体」の世界の解明へ

 2 物自体の世界を解明する現代物理学

  (1) 現代物理学の新しい物質観・自然認識の方法

  (2) 人間の自由を可能とする根底の世界の存在構造

 3 歴史を把握する弁証法の形成

  (1) ドイツ観念論による主観の形而上学的絶対化

  (2) ヘーゲル哲学の限界を克服する新たな歴史認識

 4 近代社会科学による弁証法的分析

  (1) 客観化された近代社会の法則を解明する経済学

  (2) 社会の客観的分析の基礎としての根源的実践

 5 マルクスの思想の現代化と総体化

  (1) 根源的実在界を把握する初期マルクスの思想

  (2) 社会的存在としての人間の存在構造と個の自由

第6講 現代の哲学・現象学の可能性

 1 近代哲学とフッサールの現象学

  (1) 主観−客観の二元的思惟方式の根底の生活過程

  (2) 物自体の世界における認識の根源的あり方

 2 現象学が解明する根源的認識

  (1) 現に働いている主観による客観的世界の基礎づけ

  (2) 身体の運動感覚による「生活世界」の経験的認識

  (3) 諸個人の各自的身体を原点とする認識論の深化

 3 生活世界から社会科学への展開

  (1) 客観的世界の根底に解明された場所としての生活世界

  (2) 根源的実践主体の共同体への社会科学の深化

 4 マルクスの思想と現象学の相互媒介

  (1) 自然と人間との物質代謝過程と根源的労働主体

  (2) 客観的社会の根底の根源的共同体の存在構造

  (3) 諸個人の自由の実現を可能とする根源的な場所

第7講 新しい社会・歴史認識の形成

 1 根源的共同体と歴史的社会の発展

  (1) 歴史の原動力としての根源的共同体と市民社会

  (2) 客観的・制度的社会の根底にある創造的社会

  (3) 根源的存在次元への諸個人の生活過程の深化

  (4) 社会の変革、自由の実現を基礎づける根源的歴史

 2 現代社会の根本的矛盾とその止揚

  (1) 資本主義社会の物的依存関係と固有の生活世界

  (2) 労働過程の画一化と根源的な協働連関

  (3) 自由と共同性を可能とする新しい社会・歴史認識

 引用文献

 あとがき

 


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