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  『「資本論」と場所的経済学――経済学転換の哲学的基礎――

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                                                              ⇒目次はこちら

内容紹介

 自立的な運動を展開する資本主義的市場経済システムが全地球的規模にまで拡大したことによって、全人類は、全面的な依存関係のうちに捉え込まれることになった。それは、全人類が協働することによって、それぞれの個人が、全面的な発展を遂げる可能性が形成された、ということを意味している。だが、地球環境の破壊、資源、エネルギー、食糧などの諸問題が発生したことにより、資本主義的市場経済システムが、そのような可能性を現実化することを抑圧している、ということが明らかになった。

 資本主義的市場経済システムのみに分析対象を限定してきた経済学は、このような事態を根底から捉え、その解決方向を示すことができない、という枠組みの狭さを露呈させ、その根本的な転換が迫られることになった。市場経済システムを客観化し、そこに貫徹する普遍必然的な法則を解明する――という経済学の枠組みの狭さは、そのような現実の方向からだけではなく、理論の方向からも明らかにされている。

 社会科学としての経済学を形成したアダム・スミスは、自然を客観的に認識するというニュートンに力学の方法を、社会認識に適用した。だが、相対性理論・量子力学という現代物理学は、ニュートン力学の客観的宇宙の根底の次元を認識対象としている。ニュートン力学を哲学的に基楚づけたカントは、主観−客観二元対立という思考の枠組みを形成し、主・客の根底の物自体の世界は認識することができないとした。だが、現代哲学は、主観−客観二元対立の根底の次元を認識対象としている。現代自然科学・哲学の新たな自然・世界認識は、経済学に対して、客観的に認識された市場経済システムの根底の次元を対象とする新たな社会認識を形成することを迫っている、ということができる。

 本書は、そのことを、マルクスの『資本論』を、客観的に認識された市場経済システムの根底の次元を解明した新たな社会認識によって基礎づける、というかたちで遂行している。マルクスは、ヘーゲルの過程的弁証法を適用することによって、資本主義的市場経済システムの運動法則を解明した。本書では、フッサールの現象学・西田哲学の場所的弁証法を、ヘーゲルの過程的弁証法の根底の次元を解明しているものとして位置づけ、『資本論』の根底の次元を解明する新しい経済学的認識に適用している。

 ヘーゲルの概念の弁証法は、具体的普遍としての概念が自己を特殊的に限定することによって、個物に至る(判断)とともに、個別性と普遍性に分裂した概念が統一・再生する(推論)という過程的な構造を有している。普遍性と特殊性と個別性とは、推論において媒介・統一されるのであり、普遍としての概念は、この推論の三つの契機のすべてを貫いている。ヘーゲルの弁証法は、概念そのものの運動であり、具体的全体性としたの概念は、それ自身のなかに進行と発展の始元を有している。したがって弁証法は、概念を実体=主体する円環的な自己完結的運動となるのである。

 マルクスは、ヘーゲル弁証法を適用することによって、資本主義社会においては、ヘーゲルの弁証法と同一の過程的運動が、日々、現実に繰り返されていることを、経済学的に解明した。そこにおいては、普遍としての資本は、ヘーゲルの概念のごとく、貨幣、商品に変態しつつ、価値増殖を行いながら無限に同じ過程を繰り返す自立的な運動体である。即ち、資本は、価値の自己増殖それ自体を目的とする、自己完結的な円環運動のすべての契機を貫く普遍なのである。マルクスは、『資本論』において、自立的運動体としての資本主義社会の内部構造を、このようなものとして解明した。

 本書では、マルクスが、具体的にどのようなかたちでヘーゲルの弁証法を適用し、資本主義社会の運動法則をどのように分析しているかを、『資本論』を自立的運動体としての資本主義社会を認識対象とする「原理論」として純化すべきだ――とした宇野弘蔵の『経済原論』『価値論』を踏まえつつ、捉え返している。そのうえで本書は、『資本論』が認識対象とした資本主義的市場経済システムの根底の次元を認識するために、現代哲学の新しい世界認識を具体的に適用し、その存在構造を解明している。

 現代物理学が、ニュートン力学が対象とする客観的宇宙の根底の次元を解明している、ということには既に言及した。相対性理論が対象とする四次元時空としての宇宙においては、すべての座標系は、それぞれ固有の時間・空間的位置において独自の形で全体宇宙を表現するが、すべての座礁系は相互に調和・統一を保っている。この宇宙においては、全体は単なる個の総和ではないし、個は全体の部分にすぎないものではない。全体と個は、いずれか一方に還元できないものとして、それぞれに独立を保って対立していながら、そのまま統一されており、全体をそれぞれに独自のかたちで表現するすべての独立した個の間に調和が成立する――という論理的存在構造を有している。

 この論理的存在構造は、普遍が特殊的に限定されて個が成立する――というヘーゲルの弁証法とは異なり、真に独立した個と個の調和を可能とするものである。フッサールは、哲学の立場から、客観的世界の根底に、これと同一の論理的存在構造を有する「開放的モナドの共同体」を解明している。「開放的モナドの共同体」における諸個人は、同一の全体世界を、固有の時間・空間的パースペクティブに従って表現するものどうしとして働きあうことによって、相互の調和を実現する。

 フッサールが、開放的モナドの共同体として分析した次元を、西田幾多郎は、「創造的モナドロジーの世界」として解明している。すなわち「モナドが自己自身を映すことが世界を映すことであり、逆に世界を映すことが自己自身を映すことである。各々のモナドは一つの世界の種々なる観点からのペルスペクテイーフと云うこともできるのである。真の実在界と云うものは、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。」(「歴史的世界に於ての個物の立場」)というものである。西田は、創造的モナドロジーの世界の論理的存在構造について、「それ自身によって有り、それ自身によって動く実在的世界の自己表現として、私の論理の形式というのは、個物が世界を表現することが、逆に全体的一としての世界が個物的に、即ち唯一的に、自己自身の表現することであり、個物的多と全体的一の矛盾的自己同一として、世界が自己自身を表現する、自己自身を映すということである。」(「論理と数理」)と述べている。

 これが、西田哲学の「場所的弁証法」といわれる論理であり、ヘーゲルの「過程的弁証法」をその根底に於いて基礎づけるものである。『「資本論」と場所的経済学』は、マルクスが、ヘーゲルの過程的弁証法を適用して、資本主義的市場経済システムの運動法則を経済学的に解明した客観的社会の根底の次元に、場所的弁証法を適用して、その運動法則を経済学的に解明することを目的とするものである。枠組みの狭さを露呈させた経済学の根本的転換は、そのことによって初めて成し遂げられるのである。

 全体的一と個的多との絶対矛盾的自己同一という運動法則が貫徹する、この次元に於ける諸個人は、単に普遍的法則によって規定される存在ではなく、真に自由な個人として行為することができる。この次元は、それら無数の行為的自己が、その身体的行為的現在の一瞬一瞬に創造を行なう独立した自由な人格として相互に働きあう場所――としての創造的世界であり、行為的自己はその創造的要素である。

 このような自由な自己の人格的相互依存関係を全人類的規模で形成することによって、全人類が全面的な相互依存関係の内にくみ込まれることで形成された、それぞれの個人が全面的な発展を遂げる可能性を、十全なかたちで現実化することが可能となる。全地球的規模にまで拡大した資本主義的市場経済システムの運動が惹き起こすさまざまな問題に、それぞれの地域で取り組んでいる人々の実践・運動は、そのような方向に向かって統合されてゆかれなければならない。

目次

 はしがき

序章 知と文化の根源への還帰

 第1節 文化・学問の危機と根源的生活世界

 第2節 言語学・精神分析学・文化人類学と「構造」

 第3節 過程的経済学から場所的経済学へ

第1章 ヘーゲル弁証法と『資本論』

 第1節 ヘーゲル論理学の構造

 第2節 概念の過程的弁証法

 第3節 『資本論』の弁証法

 第4節 資本の円環運動と過程的経済学

第2章 過程的弁証法と資本主義社会――自己完結性解体の課題――

 第1節 価値法則の社会的実体

 第2節 資本主義社会の根本矛盾

第3章 フッサール、西田の論理と場所的経済学

 第1節 伝統的論理の根底――根源的生活世界、社会の現象学

 第2節 過程的弁証法・現象学・場所的弁証法

 第3節 創造的モナドロジーの世界と場所的経済学

第4章 過程的経済学と場所的経済学

 第1節 物的依存関係と根源的労働・生産の共同体

 第2節 農業と工業との再結合

 あとがき

 引用文献

 


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