『東西思想の超克』再説 第1回 古代の精神革命――ミレトス学派の自然学とエレア学派の存在論・プラトン・アリストテレス・ウパニシャッド・釈迦・殷周革命と天の思想・孔子・老子・荘子

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『東西思想の超克』再説

第1回 古代の精神革命

    ミレトスの自然学とエレアの存在論・プラトン・アリストテレス・ウパニシャッド・釈迦・殷周革命と天の思想・孔子・老子・荘子

 

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  本稿は、『東西思想の超克』で取り扱った主題を、『絶対無の哲学』『創造的生命の形而上学』の哲学・形而上学体系に踏まえて再説するための第一次稿である。全体の課題と構図については、当ホームページ掲載の論文「東西の形而上学の統合による世界哲学としての絶対無の形而上学の形成――それを全人類一人ひとりがわがものとして獲得し、<本来的自己>を実現しなければならない」で論述してある。なお、中世については、当ホームページ掲載の論文「宗教思想と形而上学の現代的再生による諸個人の全人格的転換」の道元、親鸞、マイスター・エックハルトの項を、現代については同論文のハイデガーの項を、とりあえず参照していただきたい。今回は古代の精神革命について論じたが、次回はプロティノスと華厳について論述する。

 科学を基礎とする近代合理主義による超感覚的実在界の否定

 現代は、人類が二千数百年にわたり連綿として継承してきた思想的伝統が解体したという点において、画期的な時代である。そのような事態をもたらしたものは、近代科学がその基礎を形成した近代合理主義思想である。

 科学は、感覚器官によってとらえることのできる存在だけを認識対象とし、感覚的に知覚される存在領域に貫徹する法則を理性によって解明する。そこには、認識対象を、理性という認識能力に適合する範囲に限定する、という態度が貫かれている。それが、近代合理主義の立場である。もちろん、科学にとっても未知の領域は常に存在する。しかし、近代合理主義によれば、そのような領域も科学の無限の進歩によって解明し尽くすことができるとされる。

 したがって、近代合理主義は、感覚的に知覚し理性的に解明することのできない存在領域を否定することになる。こうして、近代合理主義は、超感覚的な存在領域を固有の対象としてきた宗教、形而上学を排除したのである。そして、そのことが人間理性の勝利、開放としてとらえられたのである。

 近代に至るまで、人間の生活と思想は、何らかのかたちで、神や仏という超感覚的実在に基礎づけられたものとして存立してきた。近代合理主義は、そのような超感覚的実在を否定することによって、人類の思想的伝統を解体してしまったのである。そこには、近代以前において、感覚的存在領域よりも現実的であり実在的であるとされてきた超感覚的存在領域が、非現実的であり非実在的であるとされる、という逆転が生じている。そのことは、近代合理主義が、感覚界と超感覚界という二つの存在領域を認める立場を否定し、全存在領域を感覚界に一元化してしまったということを意味している。

 感覚界を現実的・実在的とし、超感覚界を非現実的・非実在的とする態度そのものは、近代科学・近代合理主義に特有な態度ではない。それは、人間の日常的意識のあり方そのものに根差しているものである。そのことについて、井筒俊彦は、「日常性の立場をどうしても離れることのできない人にとっては、彼が直接に目をもって見、手をもって触れる感性的事物の世界だけが唯一の現実であって、感性界を絶対的に超越する普遍者の世界のようなものはなんらの現実性もない一片の幻影か、さもなければ、存在するにしても、ただ人間の頭の中にだけ抽象的概念として存在するにすぎない」(『神秘哲学』第二部P47)と述べている。

 科学的認識は、このような日常的意識を方法的に精錬化したものであることによって、超感覚的実在界を否定することになったのである。井筒俊彦は、そのように有の究極であるものを無としてしか捉えることのできない日常的意識のあり方を、「人間の自然的認識に纏綿する本源的悲劇性」「人間的認識の自然的構造に由来する有無の矛盾」(前掲書P49)と呼んでいる。

 二つの存在領域に対応する人間の意識、認識能力の二つのあり方

 日常的意識が無としてしかとらえることのできないものが、存在的にも無であるというわけではない。ただ、超感覚的実在界・存在領域をとらえるためには、感性、理性と根本的に異なる認識能力によらなければならないのである。すなわち、二つの存在領域に対応して、人間の意識、認識能力にも二つのあり方が区分されるのである。

 感覚的存在領域を対象とする意識、認識能力は、感覚器官が対象に直接触れる感性的直観とそれに結びついた理性である。それに対して、超感覚的存在領域を対象とする意識、認識能力は、超感性的対象に直接触れる知的直観とそれに結びついた知性である。すべての人間は、この二つの意識、認識能力を本来的に有している。二つの意識、認識能力のうち、感性的直観、理性の方は、普通の人間でも働かせることが容易である。それが、「日常的意識」「自然的態度」のあり方とされる所以である。それに対して、知的直観、知性を働かせるためには、日常的意識の自然的態度を特異なものへと態度変更をすることが必要となる。

 感覚的存在領域―感性的直観、理性と、超感覚的存在領域―知的直観、知性とのあいだには、絶対的断絶がある。したがって、感覚界を一度絶対的に否定しないかぎり、人間は、超感覚界に至ることはできないのである。このことを意識についていうならば、日常的意識の働きを停止し、意識のあり方を絶対的に転換させなければならない、ということである。それによって、知的直観、知性という認識能力が働きはじめるのである。

 そこにはじめて、宗教、形而上学が可能となる。したがって、宗教、形而上学の対象である神や仏といった超感覚的実在は、経験にもとづかない人間の空想の産物でもなければ、独断的に設定したものでもないのである。それは、感性的経験(感性的直観)の対象ではないが、それとは異なる超感性的経験(知的直観)の対象なのである。人間の経験は、感性的経験に限定されるものではなく、その限界を超出する領域にまで及んでいる。宗教者、形而上学者は、科学者の経験を超える実在を経験するのである。この経験は、感性的経験とは異なるが厳然たる経験なのである。

 超感覚界から自己を遮断し感覚界に自己閉鎖的になった現代の人間

 にもかかわらず、科学は、経験を感性的経験に限定し、認識能力を感性的直観、理性に限定してしまった。こうして、神、仏、天、道などの実在は、感覚にはかからないものとして、その現実性、実在性を否定されることになったのである。感性的直観、理性という認識能力の本質的限界は、科学がどのように進歩しても排除することはできない。したがって、科学の無限の進歩によって次々と未知の領域が解明されたとしても、それは感覚界にかぎってのことであり、科学的には原理的に解明不可能な超感覚界という存在領域は残らざるをえないのである。

 だが、近代合理主義の立場からすれば、科学的に解明できない存在領域などというものが残存する余地はない。すべては科学的認識の対象として一元化とされ、感覚界と超感覚界という二つの存在領域を認める立場は否定される。二つの存在領域を認めることによって初めて可能となる宗教、形而上学が否定されることになったのは、必然的な帰結であった。近代合理主義は、科学的認識の本質的限界に無自覚なのである。

 先述したように井筒俊彦は、有の究極にあるものを無としてしかとらえることのできない日常的意識、自然的態度の「悲劇性」「矛盾」に言及していた。日常的意識の方法的精錬化としての科学的認識は、この悲劇性、矛盾を克服、解消することなく、固定化し極限化したということができる。近代以降は、科学的認識がその基礎を形成した合理主義的思考が人間の日常的生活を規制するものとして一般化していった結果、感覚界のみが現実的、実在的であり、超感覚界は非現実的、非実在的である、とする思考方法、態度がますます強化されていった。超感覚的実在などというものは、科学的に実証されない非合理的なものとして排斥されることになった。

 今日では、神や仏について語ることは嘲笑の対象ですらある。現代は、人間の思考が、合理主義的思考にほとんど覆い尽くされた時代ということができる。だが、それは、人間の思考のあり方として極めて偏頗なものでしかない。

 現代の人間は、感覚界のうちに自己閉鎖的となり、超感覚界から自己を遮断してしまった。すなわち、現代の人間は、感覚界から超感覚界へと超越する通路を排除してしまったのである。「『物質』を基底とする自然界という世界像が、世界からも、世界のうちなる人間からも、『超越』への通路を除き去ったのである。」(西谷啓治『禅の立場』著作集第11巻P163)ということである。それが、二千数百年にわたる人類の思想的伝統が解体されたことによってもたらされた事態である。

 ここに、現代における最も深刻な思想的危機があり、それ克服することをこそ現代の哲学に課せられた最も大きな課題なのである。にもかかわらず、この思想の危機と課題は、現代においてなお十分自覚されているとはいいがたい。そこに、現代において極限化された「人間の自然的認識に纏綿する本源的悲劇性」の深刻さがある。

 「哲学する」という実践による感覚界から超感覚界への超脱

 この思想的危機と課題を明確に自覚することによって、現代において真に「哲学する」ことが可能となる。プラトンは、哲学とは「此岸から彼岸に超脱すること」であると述べている。このことは、日常的意識の自然的態度を絶対的に転換することによって、感性的直観、理性とは根本的に異なる知的直観、知性という認識能力を活生化させ、超感覚界の真実相を体得・体認する、ということとしてとらえ返すことができる。

 この意識の態度変更、転換を遂行するためには、特別な実践、自覚的行為が求められる。それは、宗教的には「修業」といわれる実践であり、ヨーガ、坐禅、瞑想などが、それである。その実践により、人間が感覚界から超感覚界に超脱することが、宗教的には「回心」「覚醒」「解脱」「悟り」などと呼ばれるものである。それによって、人間は、超感覚的実在との合一という体験をする。それが、宗教的には「神人合一体験」などといわれるものである。

 だが、この実践、体験は、狭く宗教的なそれに限定されるものではなく、哲学にも共通するものである。哲学とは、実践や体験を離れた純粋な思索の産物ではない。それは、実存的に哲学するという実践によって感覚界から超感覚的実在界へと超脱し、超感覚的実在と合一するという体験のロゴス化として形成されるのである。

 このようにみてくるならば、近代合理主義が感覚界から超感覚界への通路を排除してしまった現代において、真に実存的に哲学することがいかに困難なことであるか、ということが明らかになる。だが、このことは、学問の一分野としての哲学や専門的な哲学研究者にのみかかわる問題ではなく、現代のすべての人間にかかわる普遍的で根源的な問題である。

 たしかに、人間が感覚界から超感覚界へと超脱し、知的直観、知性という認識能力を働かせるためには、日常的行為とは異なる特殊な自覚的行為が必要であり、それは決して容易な業ではない。しかし、知的直観、知性という認識能力自体は、特定の人間のみが有する特殊な能力ではなく、本来すべての人間が有しているものなのである。ただ、それは、自然のまま放置しておけば潜在的な状態にとどまり、発動することができないだけである。そのことは、宗教において、ごく普通の多くの人間が偉大な宗教者の導きによって、彼と同じ回心とか解脱という体験をしてきたという事実をみれば明らかである。

 したがって、「修行する」「哲学する」という自覚的行為の目的は、一人ひとりの人間が感覚界から超感覚界に超脱し、超感覚的実在との合一体験に至るということにある。哲学とは、日常的意識の枠内にある人間に対し感覚界から超感覚界に転換するよう促し、超感覚的実在へ至る途を指し示すものであり、一人ひとりの人間は、その差し示された途に沿って歩むことによって、超感覚的実在との合一を体得するに至るのである。こうして一人ひとりの人間が、哲学に導かれて全人格的転換を成し遂げる。そこに、哲学が有する思想としての生きた力がある。偉大な思想を生み出した哲学者も、ごく普通の人間も、哲学するという行為によって辿る途に関しては同一なのである。

 感覚界は、超感覚界を基盤としそれに支えられて存立しており、超感覚界を抜きにしてそれ自体として存立することはできない。それは、超感覚的実在によって在らしめられて在る存在である。そのことは、過去の偉大な哲学者、宗教者が、全人格的転換をなしとげ超感覚的実在と合一した体験にもとづいて明らかにしたところである。超感覚的実在(神とか仏とか呼ばれてきたもの)は、超感覚界の根源、原理としての永遠無限絶対の実在であるとともに、超感覚界の全体を貫流し、そこに遍満する無限の創造的エネルギー・生命である。そのような超感覚界の全体こそが、「真の全実在界」なのである。

 自覚的行為によって超感覚的実在界に超入した人間は、永遠無限絶対の実在と合一することによって、全実在界に遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化する。それが、真の全実在界と一体化した全実在界大の「真の自己」「本来的自己」である。その本来的自己が、全実在界の根源に身を置きつつ、そこから全実在界の真実相を観想する。それによって、永遠無限絶対の実在を根源とする全実在界大の規模における実在と自己との合一、一体化という、実在・実存体験のロゴス化として哲学が成立するのである。

 生滅無常の存在者の絶対的「根源」を求める哲学、宗教

 すべての人間は、超感覚的実在界における知的直観、知性という認識能力を潜在的可能性として有しているが、それと同様に本来的自己というあり方を潜在的可能性として有している。それぞれの個人は、全実在界大の実在・実存体験によって、知的直観、知性いう認識能力を発動させると同時に、本来的自己を実現する。それによって、本来的自己の観想意識に、全実在界の真実相が映し出される。それは、永遠の実在と合一した本来的自己が、全実在界の真理を体得・体認したものとして、永遠の相の下に観られた真理、永遠の真理である。

 真にその名に値する哲学は、永遠の実在との合一という体験を究極的基体とするものとして成立する永遠の真理であり、また、哲学ををそのようなものとして理解する人々によって時代を超えて継承されてきたのである。哲学は、そのようにして人類の思想的地盤を形成してきた。人類の思想の伝統は、そのようなものとしてとらえ返されなければならない。ロゴス的哲学のパトス的基体である実在・実存体験は、すべての人間にとって追体験可能なものである。このことは、すべての人間が実存的に哲学することによって本来的自己を実現する可能性を有している、ということを意味している。

 宗教、形而上学を否定した近代合理主義は、すべての人間に感覚界から超感覚的実在界への転換を促し、本来的自己の実現へと導いてゆく途を閉ざしてしまった。近代合理主義は、人間の思想的地盤を解体してしまった。この地盤から切り離された合理主義的思考によって制御される人間の生活は、地盤を喪失したものとなる。感覚界における日常的自己の根底に、虚無の深淵が開かれたのである。しかし、合理主義的な思考の枠内にある人間は、感覚界を自存的なものとみなし、そこにおける自己を自立的なものとみなす。

 感覚界は、それ自体のうちに絶対的根拠を持たない生滅無常の存在領域であり、常に無に差しかけられている。すなわち、そこにおけるあらゆる存在者は、生じては滅する一瞬一瞬に虚無の深淵に呑み込まれる危機に直面した危うい存在である。そこには、あらゆる存在者が無を裏に持った有であるという「有と無のパラドックス」が存在している。感覚界におけるあらゆる存在者のうちで意識を有する存在である人間は、自己をはじめとするあらゆる存在者が常に無に差しかけられているということを自覚することができる。

 人間がこのことを自覚するとき、生滅無常の感覚界を超脱し、永遠無限絶対の実在を求め、それと合一しようとする切実な願いが生じる。すなわち人間は、感覚界とそこにおける自己を絶対的に根拠づける「根源」を求めるのである。哲学と宗教は、ここに始まる。

 人間が虚無の深淵のうちに自覚的に入ることにより、感覚界とそこにおける自己は絶対的に否定される。この人間の絶対的自己否定が、「大死一番」などといわれる「宗教的な死」に他ならない。プラトンが哲学を「死の練修」と呼んだのも、このことにかかわるものである。この絶対的否定、死を経ることによって、人間が感覚界から超感覚的実在界へと絶対的に転換し、永遠無限絶対の実在と合一することが、はじめて可能となる。この絶対的否定、絶対的転換の実践が、実存的に哲学するということであり、修行するということにほかならない。哲学も宗教も、それによってはじめて可能となる。

 そして、絶対否定、絶対転換の実践を介することによって、一度否定された感覚界とそこにおける自己が再び肯定されることになる。すなわち、感覚界とそこにおける自己が、今度は一瞬一瞬、無に差しかけられた存在としてではなく、無限絶対の実在と自己との合一という事実に究極的な根拠を有するものとして甦ってくるのである(感覚界が自存性を否定され、超感覚的実在界に包摂、統合される)。それによって、先に言及した「有無のパラドックス」が解消される。

 「有無のパラドックス」「有無の矛盾」に無自覚な近代合理主義

 有の究極であるもの、すなわち無限絶対の実在を、無としてしかとらえることのできない人間認識の自然的構造に由来する「有無の矛盾」については、すでに言及した。この有無の矛盾の解消は、有無のパラドックスを自覚した人間が絶対的否定、絶対的転換の実践によって、そのパラドックスを解消することによってはじめて可能となるのである。

 この有無の矛盾、有無のパラドックスの解消という課題は、いつの時代にも共通する人類に普遍的な課題である。そして、この課題の解決を可能とするものが、永遠の真理としての哲学なのである。だが、近代合理主義の立場からすれば、有無の矛盾というもの自体がそもそも存在しないのである。近代合理主義にとっては、感覚界だけが唯一の現実としての「有」なのであり、超感覚界は非現実的なのであるというだけのことである。そこには矛盾は存在しない(矛盾は存在するが、そのこと自覚することができないということである)。

 ただ、感覚界と超感覚的実在界という二つの存在領域を認める立場からするとき、そこに有の究極としての無限絶対の実在を「無」とし、無限絶対の実在によって在らしめられて在る存在であり、その実在を抜きにすればそれ自体としては「無」である感覚界のみを「有」とする、という「有無の矛盾」が生じるのである。近代合理主義の枠内にとどまるかぎり、有無のパラドックスも有無の矛盾も生じようがない。

 合理主義の基礎を形成した近代科学は、生成変化する自然現象のみを認識対象とする。科学は、その生成変化を自然自体に内在する必然的法則に従う運動としてとらえる。科学の対象としての自然は、内在的な法則に従って無限の自己完結的運動を展開してゆく安定的なシステムであって、一瞬一瞬、無に差しかけられる生滅無常の危うい存在ではありえない。この科学が基礎を形成した近代合理主義にとっての感覚界も、また自存的、自己完結的なシステムであり、そこに有無のパラドックスなどいうものは存在しえない。

 したがって、近代合理主義的思考の枠内にある人間には、有無の矛盾、有無のパラドックスを解消しようとする意欲が生じようもない。合理主義的に思考する人間は、感覚界とそこにおける自己を単純に肯定するだけであり、それを絶対的に否定することがない。人間は、この絶対的否定を経ないかぎり、感覚界から超感覚的実在界へ超脱することは不可能である。したがって、そこには真の意味での哲学も宗教も成立することはできない。

 無限絶対の実在に至る途を断たれた現代の人間の閉塞状況と哲学の課題

 近代合理主義は、有無の矛盾、有無のパラドックスの解消という超時代的で人類普遍の課題を隠蔽するのである。合理主義的思考の枠内にある人間は、実存的に哲学することによって日常的自己から本来的自己へ転換する、という自己に課せられた根源的な課題を忘却する。もともと日常的意識は、人間が無に差しかけられていることを隠蔽するという本性を有している。人間は、日常的意識の自然的態度をとっているかぎり、自己の存在が内含する有無のパラドックスを忘却するのである。その日常的意識を方法的に精錬化した科学が基礎を形成した近代合理主義的思考の枠内にある人間が、有無のパラドックスを忘却するのは自然なことである。

 宗教や形而上学が思想的地盤として存在しているところでは、人間が日常的意識の枠を脱却して有無のパラドックスを自覚し、それを解消する可能性は常に存在している。だが、近代合理主義は、その思想的地盤を解体したことによって、人間からその可能性を奪ってしまった。宗教、形而上学を否定するということは、単にそれらの教説、学説のあれこれを否定するということではなく、根源的にはこのようなことなのである。

 すでに言及したように、地盤を喪失した現代の日常的自己の根底には、虚無の深淵が開かれている。日常的自己が虚無の深淵に差しかけられているということは、いつの時代の人間にも共通する事態である。だが、現代の人間には、その虚無の深淵の彼方の無限絶対の実在に至る途は断たれているのである。

 これが、現代の人間が陥った深刻な閉塞状況である。そして、この閉塞状況を打破することこそが、現代哲学に課せられた根本的な思想的課題なのである。この課題にこたえうる哲学とは、日常的意識、合理主義的思考の枠内にとどまり、超感覚的実在界に背を向け感覚界に安住する一人ひとりの人間に対し、自然的態度を転換させ無限絶対の実在に向かうように促すとともに、そこに至る途を指し示すことのできるものでなければならない。

 それは、近代合理主義によって排除された感覚界から超感覚的実在界へ超脱する通路、虚無の深淵の彼方の無限絶対の実在へ至る途を再び切り開く、ということにほかならない。それが、現代において真に哲学するということであり、そのことをなし得ないかぎり、哲学は、現実に働きかけ、それを根底から動かす真の力となることはできない。

 実在・実存体験という基体から切り離され固定化された哲学の現状

 たしかに今日、世に「哲学」なる学問は行なわれている。しかし、それら講壇哲学のほとんどは、哲学を、その基体である無限絶対の実在と人間の合一という実在・実存体験から切り離された学説として文献学的な解釈の対象としているにすぎない。ヤスパースは、それを「駄目になった哲学」と呼んでいる。哲学が一般に受容される場合でも、それらの多くは知的好奇心、興味の対象でしかなく、知的装飾品としてすら扱われている。こうして、一人ひとりの人間に全人格的転換を促すべき哲学は、浅薄皮相な人生訓、処世訓に矮小化されてしまう。 

 哲学は、現代を生きる一人ひとりの人間が、それをわがものとして獲得することによって、その思想を生み出した哲学者の実在・実存体験を追体験し、全人格的転換をなしとげることを可能とするものとしては機能していない。哲学をわがものとして獲得するということは、自己に外在的な理論を学習し、知識を増やすということではない。

 哲学を真にわがものとするとは、理論や思想を通じて、その基体すなわち全実在界に遍満する無限の創造的エネルギー・生命との一体化という体験そのものに触れることである。すなわち、ロゴス化以前の体験と触れ合うのである。それによって、日常的自己における感性的直観とは根本的に異なる知的直観という能力が喚起、活性化され、哲学者が一体化した無限の創造的エネルギー・生命を共体験することが可能となる。

 それが、哲学者の実在・実存体験を追体験するということにほかならない。そして、この体験を基体として一人ひとりの人間が、哲学者が解明した全実在界の真実相を知性によって体認することが可能となる。それによって一人ひとりの人間は、自己の内に存在する可能性としての本来的自己を全面的に実現するのである。

 哲学が難解とされる根本的な理由も、ここにある。感性的直観、理性という能力しか働かせていない日常的意識の枠内にある人間にとって、知的直観、知性という能力を働かせることによってうみ出された哲学を理解することは極めて困難なのである。もちろん、超感覚的実在界に関する哲学を、一つの学説として「理性的に」了解することは可能である。しかし、それは、全実在界の真実相の実存的な体得・体認としての哲学をわがものとすることとは根本的に異なるものであり、結局、合理主義の枠を超えるものではない。

 その意味では、合理主義的な思考に基づいて生活する現代の多くの人間にとって、哲学が自己とは無関係な「わけのわからないもの」と映るのは当然のことといえる。現代は、一方に、超感覚的実在との合一体験と分離した学説として固定化した哲学が存在し、他方には、自己の究極的根拠である永遠無限絶対の実在に背を向け感覚界に閉じこもる多くの人間が存在している、という時代である。哲学は、衰滅の状態にあるといってよい。

 このような現代の思想状況の中にあって、真正の哲学は、感覚界から超感覚的実在界への超脱による本来的自己の実現という、いつの時代にも共通する根本的課題がすぐれて現代的課題となっていることを確認し、それと真正面から取り組まなければならない。それが、近代合理主義が解体した二千数百年に及ぶ人類の思想的伝統、地盤を復活、再生させることにほかならない。

 神話、呪術の克服による「哲学する」ことの開始

 人類の思想の伝統は、ギリシャ、インド、中国において、ほぼ同じ時期、すなわち二千数百年前に創始された。この頃、三つの地域において、相互独立的に哲学的思惟が興起したのである。

 ギリシャでは、ミレトス学派の自然学、エレア学派の存在論から始まる哲学的思惟が、プラトン、アリストテレスの思想へと受け継がれていった。インドでは、ウパニシャッドの哲人に始まった哲学的思惟が、釈迦の思想へと展開していった。中国では、殷周革命の時期に天の思想が成立し、それが孔子によって継承され、老子、荘子の思想も出現する。

 これらの哲学的思惟の成立が原点となり、以降の東洋、西洋それぞれにおける思想の伝統が形成されてきたのである。哲学的思惟は、人類が神話、呪術を克服することによって形成された。それは「精神革命」であった。

 それは、人類が、感覚界と超感覚界を明確に区別するとともに、感覚界から超感覚的実在界に超脱して永遠無限絶対の実在と合一するという体験をし、そのロゴス化としての思想を形成したという、人類の思想史上の画期的な出来事であった。人類は、ここに「哲学する」ことを開始したのである。それは、人類の「覚醒」ともいうべき感動的な出来事である。

 哲学以前の神話的思惟様式の特徴は、感覚界と超感覚界が明確に区別されておらず、無雑作に混同されている点にある。神話的思惟によれば、感覚界のさまざまな事物、現象は、感覚によってはとらえることのできない神秘的な力を持つとされる。このため、自然のさまざまな事物、現象が神格化され崇拝の対象とされる。天の神、地の神、火の神、水の神、川の神、山の神などが、それである。神話の世界は、このように多神の世界である。

 それらの神々は、雨を降らせ、風を起こし、豊作や飢饉をもたらし、健康、長寿を授け、疫病をひき起こす超感覚的な力を有するとされる。人間は、災いを避け、幸福を得るために、呪術的祭祀によってそれらの神々の力に働きかける。呪術の目的は、現世的利益を得ることにある。これらの神々の力は、実は、感覚界を超越する超感覚界の原理である無限絶対の実在の力、すなわち超感覚的な無限の創造的エネルギー・生命である。未開人は、その力を、神々の力として、自然の事物、現象と同一のレベルに並置してとらえるのである。

 このような思惟様式は、哲学が成立する以前の世界のどの民族にも共通する普遍的なものであった。この思惟様式の枠内にとどまるかぎり、人間が感覚界から超感覚界へ超脱すること、すなわち哲学することは不可能である。

 人間が自覚的行為によって超感覚的な力を制御し「本来的自己」を実現する

 だが、人間の精神的能力が進歩し、理性が高まるとともに、それらの神々の存在は非合理的なものとして否定されるに至った。それが、古代における合理主義の成立である。

 たしかに、合理主義的思惟は、人類を未開蒙昧の状態から脱却させた。しかし、合理主義的思惟が、神話が同一レベルでとらえた感覚的事物と超感覚的な力のうち後者のみを否定するにとどまるかぎり、神々の存在を否定することによって同時に超感覚界の存在そのもの否定してしまうことにならざるをえない。そのことは、人間が感覚界から超感覚界へ超脱する通路を排除することにほかならない。合理主義的思惟の枠内にとどまるかぎり、真の意味での哲学が成立することは不可能である。

 神話的思惟は、感覚界と超感覚界という二つの存在領域を混同したため、前者から後者へと超越する通路を見いだすことができなかった。しかし、神話は、とにかく超感覚的な力の存在を認めた。人間は、その力を呪術という方法によって制御することで自己の利益を得るという目的を達成しようとした。それが、神話、呪術の役割、任務である。

 哲学は、神話、呪術を単純に否定、排除するのではなく、それが担った役割、任務を継承し、別のかたちで果たそうとするのである。哲学的思惟を始めた思想家たちは、合理主義者同様、感覚的事物と同じレベルにおける神々の存在を否定した。だが、彼らは、合理主義的思惟の枠内にはとどまらなかった。彼らは、理性の対象とされた感覚界の背後あるいは根底に超感覚界が実在することを認め、二つの存在領域をはっきりと区別した。そして彼らは、合理主義者のように感覚界を単純に肯定するのではなく、一度それを絶対的にする否定することよって超感覚界に超脱した。神話的思惟から哲学的思惟への転換は、同一レベルにおける移行ではなかったのである。こうして、それらの思想家たちは、呪術という方法によらず、理性より高度の能力を自覚的行為によって活性化させることで、超感覚界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命を制御した。

 超感覚的実在界に超入した思想家は、そこおいて超感性的直観によって無限絶対の実在と直接触れ、それとの合一を体験する(実在・実存体験)。この無限絶対の実在が、プラトンにおいては善のイデアであり、釈迦においてはダンマ(法)であり、孔子においては天であり、老子、荘子においては道である。神話の多数の神々は、絶対者すなわち永遠無限絶対の実在の内に帰一、還元された、ということができる。イデア、ダンマ、天、道などは、それらの思想家が体験した同一の無限絶対の実在を、それぞれ異なったかたちで表現したものである。それらの思想家は、真の実在が何であるかを理解したがゆえに、神話の神々を否定したのである。真の哲学は、それによってはじめて可能となり、真の宗教もまた、それによってはじめて成立した。

 こうして、無限絶対の実在と自己との一体化を体験した思想家は、それを究極的基盤として全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と自己との一体化を体験する(全実在界大の実在・実存体験)。そこには、自己の自覚的行為を通じて自他不二の理(自己と他者すなわち無限絶対の実在、実在界は同でもなく異でもないという理法)が働いている。それによって、自己の内には無限の創造的エネルギー・生命が充満する。自己はその内に全実在界を表現し、創造的エネルギー・生命を体現する。

 全実在界における創造的エネルギー・生命の躍動と、自己の内における創造的エネルギー・生命の躍動は、完全に一体化する。それが、全実在界大の「本来的自己」の実現にほかならない。自己は、全実在界における超感覚的な力すなわち無限の創造的にエネルギー・生命を、このようなかたちで制御する。神話的に思惟する人間は、呪術という方法によって超感覚的な力を制御することで、現世的利益の獲得という目的を達成しようとする。それに対して、哲学的に思惟する人間は、自覚的行為という方法によって超感覚的な力を制御するすることで、本来的自己の実現という目的を達成する。

 全人類が「本来的自己」を実現する途を拓き示した古代の偉大な思想家たち

 このようにして、神話的思惟から哲学的思惟への転換を成し遂げることによって、人類は、「未開」から「文明」へと進んだのである。合理主義的思惟が同一レベルで神話的思惟を駆逐しただけでは、なお人類は「未開」から根本的に脱却することはできなかった。人間が合理主義的思惟の枠内にとどまるかぎり、その背後あるいは根底に存在する超感覚的な力を見ることができず、したがって、それを自覚的に制御することができない。そのとき、その力は非合理的、不条理的な力となって噴出してきて人間を破滅させる。ギリシャ人は、それを「運命」と呼んだ。

 このような合理主義的思惟の限界を克服するためには、外の感覚界に向かう感性、理性の働きを抑制し、意識の働きを自己の内に向かって自覚的に集中、統一し、その根源にまで深めてゆかねばならない。それは同時に、自己が自覚的に超感覚界に転じ、その根源に至る途を辿ることでもある。こうして、感性と理性に覆われていた知的直観、知性が働きはじめることになる。その根源において超感覚界の根源である無限絶対の実在と合一した自己は、知的直観によって無限絶対の実在を直接捕捉し、知性によって、そこに自他不二の理が働いていることを解明する。

 ここにおいて、意識は実在と一体的であるが、同時に、それを根底とする全実在界大の意識と全実在界が一体的である。それによって、実存的観想意識のうちに、全実在界がその真実相を映し出すことになる。それは、永遠無限絶対の実在と合一した自己がそこに身を置きつつ、そこから全実在界を永遠の相の下に総合的・統一的に見る、ということを意味している。そこに、永遠の真理としての哲学が成立する。

 それは、全実在界大の実在・実在体験のロゴス化としての哲学であり、全実在界は、ここに、その自覚的要素としての人間を通じて、その真実相の自覚に達したのである。それが、実存的に哲学するということにほかならない。

 初めて実存的に哲学することを為した偉大な思想家たちは、感覚界から超感覚界に超脱して本来的自己を実現した。しかし、そのことは、特別な人間にのみ可能なことなのではない。感性、理性という能力を働かせつつある日常的意識、日常的自己に覆われるているとはいえ、すべての人間は、知的直観、知性という認識能力を潜在させており、本来的自己を実現する可能性を内在させている。偉大な思想家たちは、自ら実存的な全人格的転換を成し遂げることによって、全人類がその可能性を全面的に実現するための途を拓き示した先覚者なのである。彼らは、そのような存在として全人類の模範ということができる。 

 彼らの思想は、そのようなものとして、以降二千数百年にわたる人類の思想の伝統の原点となりえたのである。ギリシャ、インド、中国において成立した哲学は、東洋と西洋それぞれに固有の伝統を形成してきた。しかし、彼らが生み出した思想は、時代の相違を超えた永遠の真理であり、東洋と西洋の相違を超えた人類普遍の真理なのである。

 人類の思想的地盤を形成してきた哲学的言説、宗教的教説の伝統

 古代において、偉大な思想家たちは、全人格的転換によって無限絶対との合一状態という深い境地に到達した。少数の人々が到達したこの境地は、一般の多くの人々にとっては容易に到達し難いものであった。実在と実存との合一という実在・実存体験そのものは、言語を超えている。しかし、体験内容を言葉で解釈し表現することは可能である。

 そこに、哲学的言説、宗教的教説が成立し、それを通じて少数の人々の体験内容を一般の多くの人々に伝えることが可能となる。哲学的言説、宗教的教説は、実在・実存体験のロゴス化であることにより、多くの人々に感覚界から超感覚界に転換するよう促し、無限絶対の実在との合一状態に至る途を示す、という役割を果たすのである。根本的な自己変革を成し遂げた少数の偉大な先覚者の前ロゴス的な体験は、このようなかたちで間接的に全人類を変革することが可能となったのである。先覚者たちの思想は、そのようなものとして継承されていった。彼らは、それによって、人類の思想の生きた伝統の創始者となったのである。

 だが、哲学的言説、宗教的教説が実在・実存体験という基体から離脱して学説、教義として固定化するとき、それは、それぞれの人間が全人格的転換を成し遂げることを抑圧し阻害するものとして働くことになる。そのとき、無限絶対の実在は、人がそれと合一することによって本来的自己を実現することを可能とするものではなく、人間を支配し服従させるものとなる。このような思想が継承されてゆくとき、伝統は悪いかたちで固定化されてしまう。

 しかし、先覚者の思想は、固定化された伝統を打破した思想家たちによって復活、再生させられた。それらの思想家は、先人の思想のロゴス化以前の体験に還帰し、それを追体験した。彼らは、その体験のロゴス化としての新しい哲学的言説、宗教的教説をうみだした。それによって、それらの思想家は、すべての人間に日常的自己から本来的自己への転換の途を示すという超時代的任務を、彼らが置かれた社会的環境、時代的状況の中で遂行する。

 こうして先人の思想への回帰は、単なる反復にとどまらない独創的思想の形成となる。反復即創造である。それによって、先人の思想は真に再生させられる。人類の思想の生きた伝統は、このようにして形成されてゆくのである。このようなかたちで継承されてきた哲学、宗教が、古代の精神革命以来、思想的地盤として人類を支えてきたのである。

 「科学革命」による合理主義的な自然認識の形成と形而上学、神学の排除

 人類の思想の伝統の原点となった古代の精神革命に次ぐ人間の思惟の根本的な転換は、近代西洋において近代自然科学を形成した「科学革命」によって成し遂げられた。近代以前の自然学は、生成変化する自然現象を、超自然的な永遠不変の実在を原理として説明する、という立場をとっていた。すなわち、全自然の運動を、超自然的な実在を第一原因とするものとしてとらえるのである。超自然的実在を対象とするのが形而上学(超自然学)であり、神学であったから、近代以前の自然学は、形而上学、神学と結びついていたのである。

 それに対して、近代自然科学は、自然現象を超自然的な原理から説明するのではなく、あくまでもそれ自身の中で説明する、という立場に立った。科学革命は、このように自然認識の形而上学、神学からの解放、独立を成し遂げたのである。しかし、それは同時に、超感覚的実在界を対象とする形而上学、神学を排除することによって、古代の精神革命以来の人類の思想的伝統、人類を支えてきた思想的地盤を解体したことでもあった。

 科学的認識は、日常的意識の自然的態度を方法的に精錬化したものである。日常的意識は、目で見ることができ、手で触れることのできる事物のみを現実性を有するものとみなし、感性的直観によってとらえた事物の本質を理性によって解明する。それを精錬化した科学的認識は、感覚によってとらえることのできる存在だけを認識対象とし、感覚的経験の事実を数学的理性によって法則化する。したがって、近代的自然観は、自然現象の背後あるいは根底にある原因、実在の不変の本質が「何であるか」を問うことをしない。自然認識において問題となるのは、現象が「いかにあるか」という現象相互間の法則の探求のみである。

 このような方法は、実験的帰納と数学的演繹とが結合したガリレイの方法として確立された。この方法によれば、自然現象の変化の法則を見いだすためには、まず観察・実験によって経験的諸事実を最も単純な要素に数量的に分析しなければならない。現象は、定量的な測定が可能な数量によって表現されるのである。そして、この変量相互の関数関係として表現される現象の規則性が、自然現象を統一的に記述する一般法則とされる。これが実験的帰納であるが、厳密な実験によってひとたび一般的法則が確立されるならば、それを公理とすれば実験を繰り返すことをしなくても、そこからさまざまな定義を演繹することが可能となる。こうして近代自然科学にとって、自然は、公理から他のすべての法則が演繹されるところの合理的な体系性と統一性において認識される対象となった。

 このようなガリレイの方法に踏まえて、全宇宙を重力の法則という単一の法則が支配する力学的体系として統一的にとらえたのが、ニュートンの世界体系であった。こうして近代科学の自然認識は、「公理と定理の閉じた体系」として自己完結するものとなったのである。

 その後、相対性理論、量子力学という現代自然科学は、ニュートン力学とは根本的に異なる自然認識を形成し、ニュートン力学の有効範囲を厳しく制限した。しかし、それによっても、自然を、その背後あるいは根底の超自然的実在によって動かされるものとしてではなく、それに内在する法則に従って運動をしてゆくものとしてとらえ、その法則を数学的理性によって解明する、という合理主義的方法は原理的には動かされることはなかった。神学、形而上学が固有の対象としてきた超感覚界を排除し感覚界のみを認識対象とすることにおいて、近代自然科学と現代自然科学は共通の立場に立っている。

 自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの深刻な対立・相剋

 日常的意識を方法的に精錬化した近代科学の合理主義的な自然観は、科学の枠を超えた合理主義的思惟として一般化され、近代以降の人間の日常生活を規制するものとなった。自然と社会に内在する法則を解明した科学的知識は、技術に応用され、生活に適用された。人間は、それ自身、自然生態環境に内属するものでありながら、意識を有する自由な存在として、そこから超出して社会文化環境を形成した。人間は、二つの環境と自己の相互作用を自由な行為によって媒介する。それは、人間が、二つの環境と自己のあいだの物質・エネルギー循環を自覚的に制御することによってその生命活動を維持してゆく、ということを意味している。これは、いつの時代にも共通する感覚界における人間生活の不変のあり方である。

 近代以降の人間は、科学的知識と技術的意志にもとづく自由な行為によって二つの環境と自己の相互作用を媒介する。それは、人間が、自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの物質・エネルギー循環を合理的に制御することで、その生活を実現してゆく、ということにほかならない。それによって、人間の自然に対する支配力は飛躍的に高まり、自然的事物を加工した文化的事物は増大し、人間の生活は豊かになっていった。それが、科学革命によって生み出された近代科学技術文明である。

 人間は、科学の無限の進歩を楽観的に信じて、科学技術文明を発展させ続けてきた。だがその結果、自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの物質・エネルギー循環が撹乱され、三者のあいだに深刻な対立・相剋が生じた。こうして全地球的規模で自然生態環境が破壊されるという事態が生じ、人類はついに死滅の危機に直面するに至ったのである。

 そのことの根本原因は、近代以降の人間が、感覚界における物質・エネルギー循環を合理的に制御する能力を獲得したにもかかわらず、超感覚的な無限の創造的エネルギー・生命を制御する能力を獲得するには至らなかった、ということにある。人間は、感覚界における科学的知識と技術的意志を有する自由な主体としての自己を自立させたにもかかわらず、超感覚界における真に自由な主体としての本来的自己を自立させることはできなかったのである。

 形而上学と神学を排除することによって自己を確立した近代自然科学は、自然を「公理と定理の閉じた体系」という自己完結的なシステムとしてとらえた。その自然認識を一般化した近代合理主義的思惟は、感覚界を自己完結的なシステムとしてとらえた。その結果、人間が科学的知識と技術的意志にもとづく行為によって感覚界における自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの物質・エネルギー循環を合理的に制御する近代科学技術文明は、無限の創造的エネルギー・生命が貫流する超感覚界から遊離して自己完結的な運動を展開してゆくことになった。

 超感覚界から噴出してくる無限衝動に駆り立てられる人間

 無限絶対の実在(絶対者)を根源とする超感覚的実在界は、時間・空間的な有限相対的次元と超時間・空間的な無限絶対的次元の統合態である。この全実在界においては、無限の創造的エネルギー・生命が、無限絶対的次元から有限相対的次元に発現してゆくとともに、そこから再び無限絶対的次元へ還帰してゆく――という垂直的な運動が不断に繰り返されてゆく。創造的エネルギー・生命は、絶対者から出て絶対者へ帰る。

 人間が自覚的行為によって絶対者と一体化するとき、絶対者から出て絶対者へ帰る創造的エネルギー・生命の運動と、人間から出て人間に帰る創造的エネルギー・生命の運動が一体化し、両者は調和する。そのとき、絶対者と人間を創造的エネルギー・生命が水平的に一つに結びつけ調和を実現することを基盤として、無限絶対の実在と人間、有限相対的実在と人間を、創造的エネルギー・生命が水平的に一つに結びつけ調和を実現する(そこには、自他不二の理が体現されている)。

 以上が、人間が自覚的行為によって超感覚的実在界における創造的エネギー・生命を制御するということである。それによって、一人ひとりの人間が本来的自己を実現することが可能となる。

 感覚界は、超感覚的実在界の時間・空間的な有限相対的次元の外面の物質的存在領域であり、その内面には超感覚的な創造的エネルギー・生命が存在している。だが、感覚によって直接とらえられる物質的存在のみを現実的なものとみなす日常的意識を方法的に精錬化した科学は、内面の創造的エネルギー・生命をとらえることができない。科学の世界像は物質を基底とするものであり、生命、人間の意識も物質の高次の組織形態であり、物質に還元されるものとみなす。

 感覚界における自然生態環境・人間・社会文化環境は、このような物質を基底とする科学的思惟によってとらえられたものである。科学的知識と技術的意志にもとづく自由な行為によって自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの物質・エネルギー循環を合理的に制御する人間が、超感覚的実在界における創造的エネルギー・生命を自由な行為によって制御することのできない根本的な原因が、ここにある。

 人間が制御することのできない創造的エネルギー・生命は、非合理的で、不条理な力となって、感覚界における物質・エネルギー循環を合理的に制御する人間に襲いかかる。無限の創造的エネルギー・生命は、無限衝動となって噴出してきて人間の知識と意志を駆り立てる。人間は、自然に働きかけ、それを加工した生産物を享受することで、欲求を充足させ生活を実現する。それは、人間に特有な意識を有する生命活動の不変のあり方である。だが、欲求は、無限衝動に駆り立てられるとき、際限のないものとなる。こうして、際限のない欲求充足のために、物量的生産力の無限増大の運動が自己目的的なものとなって進行していった。そして、それが、近代科学技術文明の無限の進歩とみなされたのである。

 それは、ハイデガーが次のように述べている事態にほかならない。近代科学は、自然に向かって、エネルギーとして搬出され貯蔵され活用されることができるよう強要する。それは、自然エネルギーを強制的に取り立てることである。しかし、人間自身が、エネルギーを搬出するよう強要されているのである、というようにである。近現代の人間は、科学的知識と技術的意志にもとづく行為によって感覚界における物質・エネルギー循環を合理的に制御する能力を獲得したにもかかわらず、その知識と意志を自己が制御することのできない非合理的な力によって駆り立てられるという背理に陥ったのである。

 近代科学技術文明の全地球的な拡大と全人類的な思想的地盤の喪失

 自由な行為によって科学技術と文明を無限に進歩させることができると信じた人間は、実は、超感覚界から突き上げてくる不条理な力によって際限ない進歩に向かって働くべく駆り立てられていたのである。その結果が、すでに言及した自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだの物質・エネルギー循環の撹乱であり、深刻な対立・相剋てある。そのことは、人間が超感覚界における無限の創造的エネルギー・生命の垂直的・水平的な循環を制御して調和を実現することができず、相剋・対立を生じさせたことの、有限相対的次元の外面における現われなのである。

 したがって、この対立・相剋は、人間が感覚界から超感覚界に超脱し、そこにおける創造的エネルギー・生命を制御することによって本来的自己を実現しないかぎり、根本的に克服することはできない。この対立・相剋は、近代科学技術文明が本質的に超感覚的実在界に対して自己を閉ざし、感覚界において自己完結的な運動を展開してゆくシステムである、ということから必然的に生じてこざるを得ないものである。

 人類は、そのことに無自覚なまま、合理主義的な思惟によって制御された近代科学技術文明を全地球的規模にまで拡大させていった。その結果、西洋の伝統的な思想的地盤から切り離された合理主義的思惟を受容した地域においても、それが日常生活を規制するものとなるとともに、伝統的な思想的地盤を解体していった。こうして、西洋とは別の伝統を継承してきた東洋の形而上学、宗教も、また力を失っていったのである。思想的地盤の喪失は、全人類的なものとなった。

 こうして、超感覚的実在界に対して自己を閉ざす近代科学技術文明の自己完結的運動は、全地球的規模のものとなり、自然生態環境・人間・社会化環境のあいだの対立・相剋も全樹地球的規模のものとなった。その結果、地球生態環境に内属する生物の一つの種である人類は、死滅の危機に直面することになった。

 「文明化した未開」ともいうべき現代における哲学の根本的課題

 古代ギリシャ人は、理性的な人間を襲い、破滅をもたらす非合理的で不条理的な力を運命と呼んだが、合理主義的な科学技術文明を無限に進歩させ続けてきた現代の人類は、その力を全地球的規模で全面的に噴出させてしまったのである。古代において、人間は、神話を否定した合理主義的思惟の枠内にとどまることなく、感覚界から超感覚へ超脱し、そこにおける創造的エネルギー・生命を制御することによって未開から文明へと進んだ。人類は、そのようなかたちで非合理的で不条理な力を支配し浄化したということができる。しかし、この力は消滅したのではなく、その後も超感覚界から感覚界に噴出してきた。

 近代以前には、人間が自覚的行為によって感覚界から超感覚界に転換することで不条理な力を馴化し浄化する途を示す形而上学や宗教が存在していた。だが、形而上学、宗教を排除した合理主義的な科学技術文明を進歩させてきた現代の人類は、非合理的で不条理な力を馴化し浄化する途を自ら閉ざしてしまった。こうして、その力は、人間の知識と意志を駆り立てる無限衝動として噴出しつづけているのである。古代において、未開から文明へと進んだ人類は、現代において「文明化した未開」ともいうべき状態をに陥ったのである。

 だが、合理主義的思惟が生活のすみずみにまで浸透してしまっている現代の人間は、自己が超感覚界から突き上げてくる力によって支配されているということを自覚することができないまま、直面した危機を、感覚界の枠内で理性の力によって何とか克服しようと悪戦苦闘している。しかし、合理主義的思惟の枠内ににとどまりつづけるかぎり、人類は、死滅の危機にさらされつづけるほかはない。

 日常的自己は、一度、絶対的に死に切る(自己否定的実践)ことによって、本来的自己に支えられたものとして生きることが可能となる。人類が直面する死滅の危機の克服は、そのような「死」の実践を経ることなしには不可能である。

 古代において精神革命をなしとげた偉大な思想家たちは、それによって人類の歴史を未開から文明へと進めたのである。現代における人類が、文明化された未開ともいうべき状態を脱却するためには、感覚界における日常的自己から超感覚界における本来的自己へ全人格的転換をなしとげなければならない。これは、至難の課題であり、その実現は、ほとんど絶望的といわざるをえない。近代合理主義が二千数百年に及ぶ人間の思想の伝統を解体してしまった現代の人間にとって、感覚界こそが唯一の現実なのであり、その外に超感覚界が実在し、しかも、そこにおける自己こそが本来的なものであるなどということは、ほとんど信じられなくなっている。そのための思想的地地盤は、すでに解体してしまっている。

 超感覚界とそこにおける実在を信じることこそが非合理で不条理であるというのが、現代人の一般的な見方なのである。そのような思想状況の中にあって、哲学は、全人類を本来的自己の実現へ導くという困難な任務に従事しなければならないのである。すなわち、近代科学技術文明が全人類を死滅の危機に直面させたという現代の社会的環境と時代的状況の中にあって、超感覚界に背を向けて感覚界に逃避している人間を、超感覚界に向かせ無限絶対の実在と合一した本来的自己の実現にまで導く――という、いつの時代にも共通する哲学の根本的課題(思想の生きた伝統を形成してきた哲学が取り組んできた課題)に取り組まなければならない。

 東西の思想的伝統の統合による「世界哲学」の形成

 具体的には、感覚界における自然、人間、社会を対象とする合理主義的な科学的認識を基礎づけ統合することができるものとして、(近代合理主義が排除した形而上学、宗教が固有の対象としてきた)超感覚的実在界の存在構造を無限絶対の実在を原理として統一的・総合的に解明した哲学的認識を形成しなければならない。

 それによって、近代合理主義が伝統を解体した過去の思想が、現代的なかたちで復活、再生し、新しい文明の創出という未来に向けて生きた力を発揮することが可能となる。それは同時に、悪いかたちで固定した精神革命以来の思想の伝統を解体し尽くすことにほかならない。人類は、それによって「第二の精神革命」をなしとげなければならない。

 古代の精神革命は、東洋と西洋においてほぼ同時期に達成された。それ以降、東洋と西洋は、それぞれの思想の伝統を形成してきた。近代合理主義は、双方の伝統を解体した。したがって、第二の精神革命は、東西の思想の伝統を統合するかたちで、再生させなければならない。それによって、すべての人間が本来的自己を実現することを可能とする全人類共通の思想的地盤が形成される。現代哲学は、そのようなものとして「世界哲学」となる。

 では、東西の思想を根源的に統合することのできる究極的な共通基盤はどこにあるのか。古代において精神革命を達成した東西の思想家たちは、感覚界から超感覚界に超脱し、その根源の無限絶対の実在(絶対者)と合一するという体験をし、そのロゴス化としての哲学を形成した。その絶対者は、善のイデア、ダンマ、天、道などと呼ばれているが、彼らが直接体験したのは同一の実在であった。すなわち、東西の哲学は、共通の基盤の上に形成されたのである。

 ただ、実在・実存体験のロゴス化にあたって、西洋の哲学はそれを「有」としてとらえ、東洋の哲学は「有」の根底の「絶対無」としてとらえた。それによって、西洋の有の哲学の伝統と東洋の絶対無の哲学の伝統が形成された(ただ、西洋においても絶対無の哲学は存在したが、それらはあくまでも非正統的なものにとどまった)。

 現代においては、精神革命以来の東西の思想を、ロゴス化以前の共通の実在・実存体験を究極的な基盤として統合することが必要となる。この実在・実存体験を根底として、全実在界大の実在・実存体験が成立する。それによって、日常的意識を根本的に転換させた全実在界大の実存的観想意識に、全実在界の真実相が映される(実在・実存体験のロゴス化としての哲学的認識)。その基本構造は次のようなものである。

 全実在界は、絶対無の実在界と対自的絶対無の実在界からなる超時間・空間的な無限絶対的次元と、相対的絶対無の実在界と普遍的本質の実在界からなる時間・空間的な有限相対的次元が統合された、四次元統合態である。そこにおいては、無限の創造的エネルギー・生命が、無限絶対的次元から有限相対的次元へ発現してゆくとともに、そこから無限絶対的次元へ還帰してゆく――という運動が繰り返されてゆく。こうして、全実在界に無限の創造的エネルギー・生命が貫流・遍満することになる。

 そこにおけるすべての個物・個人は、それぞれの内に全実在界を表現する四次元統合態である。それぞれの個人は、自覚的な行為によって他のすべての個物・個人と一体化する。それが、全実在界大の本来的自己である。それによって、すべての個物・個人は、それぞれのうちに創造的エネルギー・生命を体現したものどうしとして相互に調和する。すなわち、すべての個物・個人のあいだの創造的エネルギー・生命循環が調和するのである。

 このような調和を達成した全実在界に感覚界が統合されることによって、そこにおける自然生態環境・人間・社会文化環境のあいだ、自然的個物・人間的個人・文化的個物のあいだの物質エネルギー循環が調和に達する。感覚界における物質・エネルギー循環の撹乱による人類の死滅の危機という事態は、それによって最終的に克服される。

 超感覚的実在界を対象とする哲学と感覚界を対象とする自然科学・人間科学・社会科学を統合することによって、そのことを具体的に明らかにすることができる。それは、形而上学、宗教を排除した科学を、形而上学、宗教を現代的なかたちで再生させた哲学に再統合するということにほかならない。それが、現代の社会的環境、時代的状況の中で哲学するということである。(全実在界の真実相を解明した哲学・形而上学の体系がどのようなものであり、それに自然科学・人間科学・社会科学をどのようなかたちで統合するのかということについては、『絶対無の哲学』『創造的生命の形而上学』において具体的に論述してある。)

 永遠である無限絶対の実在と人間の合一という東西思想の究極的な共通基盤から人類の思想の全伝統を見るとき、すべての哲学は永遠の真理として同時的となり、現代のうちに甦る。ヤスパースのいうように、二千数百年にわたる哲学史の全体が、唯一の現在、人間の自覚の一大瞬間のようなものになるのである。それが、現代において東西の思想を統合した世界哲学を形成するということにほかならない。そのことを具体的に明らかにするために、まず人類の思想の伝統の原点である精神革命にまで回帰しなければならない。

古代の精神革命

 ギリシャ

 ミレトス学派の自然学、エレア学派の存在論

 ギリシャにおける神話的思惟の克服と哲学の形成

 すでに言及したように神話的思惟は、感覚界と超感覚界を明確に区別せず混同していた。その二つの存在領域を判然と区別することによって、人類は、はじめて哲学的思惟を確立した。感覚界を超越する実在界をそれとしてはっきり認めることによって、人間は感覚界を超脱して超感覚的実在界を固有の対象とする哲学を形成したのである。こうして、ギリシャにおいては、ミレトス学派の自然学、エレア学派の存在論が成立した。

 この神話的思惟から哲学的思惟への転換を準備したのが、トラキアからギリシャに入ってきディオニソス宗教であった。ディオニソス宗教は、信者が祭儀における集団的恍惚によって神と集団的に合一する一種のシャーマニズムであった。このディオニソス宗教は、ギリシャ古代のエレシウス宗教に結びつき、オルフィツク教に受け継がれた。オルフィツク教においては、祭儀典礼と道徳的生活によって、人間の魂は、汚れから清められ、永遠不滅となるとされた。

 人間の魂が永遠不滅となるためには、肉体から離れ、感覚界から超脱しなければならない。感覚界と超感覚界を区別しない神話的宗教は、現世的、此岸的であったが、ディオニソス宗教を受容したことにより、ギリシャの神は感覚界とは異なる超越的実在となった。それによって、人間の魂が超越的実在との合一を体験するためには、感覚界を脱却することが求められたのである。ギリシャの宗教は、超現世的、彼岸的なものとなった。

 このような過程を経て、神と集団的に合一するディオニソスの祭儀が、個々の人間が超越的絶対者と合一するという個人主義的な宗教行為へと姿を変えた。そして、そのことが、自覚的行為によって(恍惚状態によってではなく)感覚界から超感覚界へ超脱し、永遠無限絶対の実在との合一を体験する、独立した個人としての哲学者の出現につながったのである。

 生成変化する世界の「根源」の探求と形而上学の始まり

 ソクラテス以前の哲学者たちは、ギリシャ神話のオリンポスの神々を否定した。しかし、彼らは、合理主義者のようにそこにとどまることはなかった。彼らは、感覚界を超える超感覚界の実在をはっきりと認め、その「根源」(アルケー)を探求した。ミレトス学派は、自然をその対象とした。それは感覚によってとらえることのできる自然、近代自然科学の対象としての自然ではなく、生成変化する世界の根底に存在する恒常不変の根源(アルケー)としての自然(フュシス)であった。このアルケーを、タレスは水、アナクシマンドロスは無限者(アペイロン)、アナクシメネスは空気と考えた。

 これらの哲学者は、永遠無限絶対の実在である自然(フュシス)を体験したのである。それは、感覚界を超える超越的実在体験であった。彼らは、その実在を神とみなしていた。にもかかわらず彼らは、根源(アルケー)としての自然(フュシス)を、感覚界における経験的自然と混同するという限界を有していた(アナクシマシドロスの無限者も物質的なものと考えられていた)。そのような限界を克服し、感覚界と超感覚界という二つの存在領域を明確に区別したのは、クセノファネスであった。彼は、神話的神々を否定し、唯一の神が存在するとした。それが、生成変化する感覚界を包越する「一にして一切」「全一」であった。それによって、ミレトス学派における一切のものの根源(アルケー)は超感覚的実在として確定されたということができる。

 ここに、ギリシャにおける形而上学、すなわち自然学(フュジーク)を超える超自然学(メタフュジーク)=形而上学の礎が置かれたのである。こうして、ミレトス学派の自然学は、エレア学派の存在論へと展開してゆく。エレア学派のパルメニデスは、恒久不動の「存在」のみが唯一の真実在であるとして、生成変化する感覚界を否定した。ミレトス学派が体験した自然、クセノファネスが体験した全一は、ここに、はじめて「存在」(有)という論理的表現を与えられたのである。パルメニデスの存在論によって、ギリシャにおける学としての形而上学が始まったということができる。

 プラトン

 「死の練習」による感覚界から超感覚界への超脱と「善のイデア」の体験

 ミレトス学派、エレア学派の哲学者たちは、永遠無限絶対の実在との合一という実在・実存体験を論理的思惟によって把握することを追究してきたのである。彼らの思想を継承し、実在・実存体験のロゴス化としての体系的形而上学を形成したのが、プラトンである。

 プラトンの形而上学は、体験を抜きにして独断的に原理(アルケー)措定し、そこから一切を演繹したものではない。彼のイデアリズムは、観念論ではない。それは、イデアという超感覚的実在の体験にもとづく高次の実在論なのである(イデアは真実在であり、概念を実体化したものなどではない)この点をしっかり押さえておかないかぎり、プラトン哲学を真に理解することはできないし、プラトン以降の西洋の哲学の真に生きた伝統をとらえることもできない。

 プラトンは、感覚界の彼岸の超感覚界をイデア界と呼び、その最高の位置を占める究極的絶対者を「善のイデア」と呼んだ。善のイデアは、ソクラテス以前の哲学者たちが根源(アルケー)として追究してきたところのものであり、パルメニデスが存在という論理的表現を与えたものを継承し、精錬化したものということができる。感覚界が生成消滅するのに対して、イデア界は永遠で恒常不変である。

 イデアは、感覚界におけるさまざまな事物の原型である。したがって、多数のイデアが存在し、それらは全体として「統一的連関」を形成している。感覚界におけるさまざまな事物は、イデアの似像として、それらを不完全なかたちで映し出す。

 感覚によってとらえることのできる感覚界のみを実在とみなす日常的意識の枠内にある人間にとって、超感覚的イデア界などというものは幻影にすぎない。日常的意識からすれば、実在界の究極的存在者である善のイデアは、無でしかない。すでに言及したように、井筒俊彦は、有の究極にあるものを無としてしかとらえることのできない日常的意識のあり方を「人間の自然的認識に纏綿する本源的悲劇性」「人間認識の自然的認識に由来する有無の矛盾」(『神秘哲学』第二部P49)と呼んでいた。この悲劇性を克服し矛盾を解消するためには、人間は、真の実在界の認識の障害となっている感性、身体から解放されなければならない。すなわち、感覚界とそこにおける身体的・感性的自己を一度、絶対的に否定しなければならないのである。

 「ともにあれば、魂をかきみだし、真実と、知の獲得を許さないとかんがえて、眼からも耳からも、いやいわばこのからだ(肉体)のすべてから、できるかぎり離れ去る」(『パイドン』66A)ことが必要となる。それが、魂の浄化(カタルシス)である。プラトンは、「浄化とは……魂を、肉体からできうるかぎり分離すること。そして魂がまさにそれ自身においてあるものとして、肉体のいたるところから、ひとつに凝集し、結集するように、慣れさせること、かくして可能なかぎり、今においても来るべき時においても、魂が、いわば肉体という縛めから解きはなたれて、ただひとりそれ自身において住まいうるように慣れさせること」(『パイドン』66 C―D)と述べている。

 このようにして魂を浄化することによって、人間を感覚界からイデア界へと転換させ、善のイデアという実在を体験することが、「哲学する」ということにほかならない。哲学者とは、魂の肉体からの解放と分離に不断に心がける者である。ところで、魂の肉体からの解放と分離が死と名付けられるとすれば、哲学者は、不断に死を練習しているということになる。「哲学することとは、まさに死の練習である」(『パイドン』81A)

 イデアの統一連関を映し出すコスモス(宇宙、秩序)

 この意味での「死」を経ることなしには、人間は善のイデアという真の実在に到達することはできない。死は、実在体験のための条件なのである。人間は、一歩一歩、魂を感性と肉体から解放するという死の練習の途、すなわち魂を浄化してゆくイデア界への上昇の途を歩み、その究極において善のイデアと合一することが可能となる。

 プラトンは、イデア界を、感覚界を超越するものとした。しかし、それは単なる超越ではない。人間は、外界に向かう感覚の働きを抑止し、自己の内に向かいそれを掘り下げてゆくという実存的自己究明の根源において、感覚界を絶対的に超越する善のイデアに逢着し、それに直接触れるのである。それが、善のイデアの直観、実存の直観としての実在・実存体験である。それによって、善のイデアを観想することが可能となる。

 全実在界の根源である善のイデアを観想した意識は、そこに身を置きつつ、そこから、全実在界、一切のものを観想することが可能となる。善のイデアを観想した人間の観想的意識は、感覚界とそこにおけるさまざまな事物を、日常的意識とは根本的に異なる次のようなものとしてとらえる。

 事物が存在するということは、場のここに原型であるイデアの似像が映し出されているということである。原型である多数のイデアは、全体として統一連関を形成している(それを統一するのが善のイデア)が、それに対応して、多数の事物の全体も、その統一連関を不完全なかたちで映し出している。それが、コスモス(宇宙、秩序)である。

 エロースの神的狂気による魂の感覚界からイデア界への上昇

 プラトンによれば、人間はかつてイデア界に住んでいたのであり、魂は真実在を見たことがあるのである。しかし、魂は地上に堕ちて肉体に宿ることによって、そのことを忘却した。したがって人間は、その記憶をよび起こすことによってイデア界に還帰するのである。そのためには、イデア界の真実在を「想起」するための手がかりとなるものがなければならない。それが、「美のイデア」である。プラトンは「<美>は、もろもろの心の実在とともにかの世界にあるとき、燦然とかがやいていた、また、われわれがこの世界にやって来てからも、われわれは、美を、われわれの持っている最も鮮明な知覚を通じて、最も鮮明にかがやいている姿のままに、とらえることになった。」(『パイドロス』250 B)と述べている。

 たしかに、「正義」とか「節制」といった人間の魂にとって貴重なイデアは数々あるが、それらのものの似像の中には何らの光彩もない。人間は、地上における美しいものに接するとき美のイデアを想起することができる。すなわち「人がこの世の美を見て、真実の<美>を想起し、翼を生じ、翔け上ろうと欲して羽ばたきをするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺めやって、下界のことをなおざりにするとき、狂気であるとの非難を受ける」(『パイドロス』249D)のである。

 この神的狂気が、エロース(恋、愛)である。美のイデアのみが、似像にあってその輝きを失わず、もっとも強く恋ごころ、すなわち故郷であるイデア界への押えがたい慕情の念をかき立てる。「この恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる」(『パイドロス』245 C)のである。したがって、人間の魂が、エロースの神的狂気によって感覚界からイデア界へ上昇してゆくことは、真実在が人間の魂をイデア界へ引き上げてゆくことによって可能となるのである。こうして魂は、イデア界に上昇的に還帰し、美のイデアを観想する。井筒俊彦は、美のイデアは善のイデアそのものの光の面であり、美と善は相互的代置可能である、としている(『神秘哲学』第二部P100)。したがって、人間が美のイデアを観想するとき、イデア界の究極的絶対者をその光の面から見るのである。

 哲学的問答法によると善のイデアへの遡源

 プラトンは、人間の魂を感覚界からイデア界へ転換させる働きをするものとして、数学が依拠する梧性的思惟を重視する。人間が感覚によってとらえる図形は、完全なものではない。それに対して、数学の対象としての図形は完全なものである。たとえば、描かれた不完全な円に対する「円そのもの」である。プラトンは、それを数学的イデアと呼ぶ。それは、生成変化することなく恒常不変である。しかし、数学的イデアは、感覚的事物との結びつきから離れることはできない。それは、感覚的事物とイデアそのものとの「中間者」ということができる。そのような存在を対象とする悟性的思惟によって人間は、生成変化の感覚界を超えて恒常不変のイデア界へ向かうことができる。

 数学は仮設から結論を導き出すが、悟性的思惟は、イデアの似像である感覚的形象を仮設(ヒュポシテス)として置き、それを超えたイデアそのものの認識に至ろうとする。しかし、悟性的思惟は、感覚的事物を完全に離脱してイデアそのものに至ることはできない。悟性的思惟は、イデアを直接見ることはできず、イデアの似像というヴェールを通してしか見ることができないのである。すなわち「それら仮設(前提)のにさらに上方へ歩み出ていくことができないかのように、始源にまでさかのぼることをしない。」(『国家』511A)のである。

 悟性的思惟は、人間の魂をイデア界へ向かせることはできるが、感覚界から完全に超脱させることはできない。そのことは、悟性的思惟より高次の知性的思惟によらねばならない。知性は感覚的事物を超脱し、イデアそのものを見る。知性も仮設を置き、そこから出発する。数学は、仮設を自明の原理として、それ以上遡らない。それに対し知性的思惟は、仮設を吟味し、低次の仮説を否定することでより高次の仮設を置くというかたちで上昇してゆき、一切の仮設を超えた最高原理すなわち善のイデアまで遡る。

 それが、哲学問答法(ディアレクティケー、弁証法)である。プラトンは、それについて「ひとが哲学的対話・問答によって、いかなる感覚にも頼ることなく、ただ言論(理)を用いて、まさにそれぞれであるところのものへと前進しようとつとめ、最後にまさに<善>であるところのものそれ自体を、知性的思惟のはたらきだけによって直接把握するまで退転することがないならば、そのときひとは、思惟される世界(可知界)の究極に至ることになる。」(『国家』532B)と述べている。

 全人類に無限絶対の実在へ至る途を示すプラトンの哲学

 ここに到達した人間は、善のイデアを観想することによって全実在界を観想する。それは、全実在界が、それと同じ規模を持つ観想的意識の内にその真実相を映し出す、ということを意味している。そこに、善のイデアと人間との合一という実在・実存体験を根底とする全実在界大の実存・実存体験のロゴス化としての形而上学が形成される。プラトンは、絶対者を「有」としてロゴス化した。

 だが、プラトンは、善のイデアの彼方に超越した「善者」に言及している。井筒俊彦は、善のイデアをプラトンの絶対者の公教的側面、善者を秘教的側面として区別できる、としている。プラトンは、体験した究極的絶対者に論理的表現の与えるにあたって、なお不徹底であったといわねばならない。究極的絶対者の秘教的側面である善者をロゴス的に追究し有を超える「絶対無」としてとらえる仕事は、プロティノスに残された。このようにしてプラトンは、西洋の正統的な有の形而上学の伝統の原点を形成したのである。

 プラトンの実在・実存体験そのものは、プロティノスのそれよりも決して浅いものではなかった。死の練習、エロースの神的狂気、哲学的問答法は、人間が感覚界からイデア界に全人格的に転換し、究極的に絶対者を体験する、ということを共通の目的としている。彼は、それによって「感性界から超越的世界に翻転し、さらに超越界の絶頂にまで飛翔して真実在に直接逢着するの道を人間精神のために用意した」(井筒俊彦『神秘哲学』P51)のである。

 この全人格的転換によって、人間は非本来的状態から本来的状態に復帰し、人間に許されたかぎりにおいて神に似たものとなり永遠性を獲得する。このようなものとして、プラトンの哲学(形而上学)は、全人類に感覚界から超感覚界に向かうように促し、永遠無限絶対の実在に至る途を示している。現代の人間は、プラトンの体験を追体験することによって、本来的自己を実現することが可能となるのである。

 アリストテレス

 宇宙万物の運動の究極目的としての「不動の動者」

 プラトンは、実在・実存体験のロゴス化としての体系的形而上学を形成したが、それを継承したアリストテレスの形而上学体系も、実在・実存体験を基体とするものである。プラトンは、感覚界を超越するイデア界の実在を認め、感覚的個物は、原型であるイデアの似像であると見なした。それに対して、アリストテレスは、イデアの超越性を否定し、それを感覚的個物に内在させた。それが「形相」である。

 形相とは、あらゆるものをそれぞれ特定のものにする「本質」である。そして、形相を実現する可能性を内在させたものが「質料」である。それは、まったく無規定な「可能態」である。その質料が形相を目的として運動してゆき、形相を実現する。それによって、無規定な質料が規定され特定の或るものとなる。それが、可能能が「現実態」になるということである。

 アリストテレスは、このようにして、形相と質料よりなる或る感覚的個物の生成変化を説明した。その際、或るひとつの形相は,より高次の形相に対しては質料の位置を占め、そのより高次の形相を目的として生成変化してゆくというように、質料と形相の階層的な系列を考えた。このような運動の系列を辿ってゆくと、その最上位に、もはや質料と結びつかない「純粋形相」の存在を認めなくてはならない。すなわち、自らは動くことなくすべての運動の究極目的となるものである。それが、「不動の動者」としての神である。それは、いかなる可能性も持たない永遠の「完全現実態」である。それが「全宇宙の実体」(『形而上学』1076a)であり、宇宙万物はこの神を恋い慕って動いてゆく。

 アリストテレスは、プラトンのエロースを宇宙的規模にまで拡大したのである。プラトンは、善のイデアが人間の魂をイデア界に引き上げてゆき、人間の魂はエロースの神的狂気によって、イデア界へ上昇してゆくとした。アリストテレスの不動の動者としての神は、宇宙万物を動かし、宇宙万物は神を究極目的として動く。人間のみならず一切の個物は、究極目的である神に至ろうとする欲求(オレクシス)を有している。ただ、人間の魂においてのみ、その欲求が自覚的となる。

 人間の認識能力の最頂点である能動的知性

 アリストテレスは、魂を植物的魂、動物的魂、人間の魂という三段階に区分している。植物的魂は、栄養摂取と生殖の能力を有している。動物的魂は、それに加えて感覚と欲求と場所による運動の能力を有している。人間の魂は、さらにそれに加えて思考能力や知性を有している。植物、動物、人間のみならず魂をもたない無生物も、神にひき寄せられ、神に到達せんとする欲求に貫かれている。だが、人間以外の存在者は、そのことに無自覚である。人間のみがそのことを自覚することができるのは、感覚を超える知性という能力を有していることによる。

 アリストテレスは、知性を受動的知性と能動的知性に分けている。受動的知性は、肉体と結びついており感性と連関している。それは、肉体が滅びるとともに滅亡する。それに対して能動的知性は、受動的知性が滅びても、それとして残る。アリストテレスは、能動的知性について「それは〔身体から〕分離された時、それがまさにあるところのものだけであり、そして〔われわれのうちにあるものどものうちでは〕ただそれだけが不死で永遠である」(『霊魂論』430a)と述べている。

  能動的知性は、人間の魂の最頂点に位置するものである。しかし、それがいかに高次の認識能力を有するとはいえ、認識はすべて感覚から始まるというアリストテレスの立場からすれば、能動的知性は、すべての下位能力と連関しているのであり、それらと完全に切り離されたものとしてそれのみで働くことはできない。すべての存在者は、質料と形相の合成物であったが、それが感覚対象となるとき、感覚器官はその形相のみを受け入れる。それを共通感覚が総合統一することによって、感覚像が形成される。

 感覚されたものの形相を現実の感覚対象と切り離された表象として保持するのが、構想である。構想は、表象を思惟の材料として知性に提供する。それを受容するのが、構想と結びついた受動的知性である。受動的知性のうちには、潜在的な思惟されるべき形相が存在している。それを表象と切り離して普遍的形相(概念や理念)としてとり出すのが、能動的知性の働きである。能動的知性は、このように下位から上位へと系列をなす他の認識作用に支えられて、はじめて働くことができるのである。それは、あくまでも人間的認識作用の最頂点であり、人間に内在するものである。

 全宇宙が自己を自覚し、神の永遠性に参与する場所である人間の魂

 能動的知性は、質料である肉体の形相である魂のうちにあるものである。だが、魂の最頂点に達した人間は、そこから一挙に飛躍して神と合一する。こうして人間は、肉体から離れて、質料をまったく離れた純粋形相を観想する。能動的知性が、このようにして自己を超越することによって、脱自的な体験が生じる(能動的知性は人間の魂の脱自的部分である)。ここにおいては、能動的知性は他の認識能力に依存することなく、自力で働くことができる。

 この知性は、質料から独立したまじりっ気のないものである。したがって、それは、質料が形相を目的として変化するということはなく、不死で永遠である。そのようなものとして能動的知性は、神的なものである。能動的知性は、単に人間的なものではなく、神的なものでもある。能動的知性がこのような脱自的能力を有しているのは、人間が究極目的である神に至ろうとする欲求を自覚することができることによる。すでに言及したように、無生物も含めてすべての存在者は、神に到達しようとする欲求に衝き動かされている。しかし、人間以外の存在者は、そのことに無自覚である。ただ人間だけが、この欲求を自覚することができる。神を求めて止まないすべての存在者の欲求は、その最頂点の人間において自覚的となる。

 このような存在として人間は「神に恋慕し神を渇仰してやまぬ万有の衝動を己が心内の深い一点に凝集し、全存在界に瀰漫する全宇宙的動性の真諦を直接端的に己が精神の動性として捕捉しつつ、いわば宇宙そのものを実存化し得る」(井筒俊彦『神秘哲学』第二部P148〜149)のである。こうして人間は、能動的知性の脱自的能力によって、欲求の対象である神へと飛翔し、その不死性、永遠性に参与する。

 「人間が胸中に萠した神への憧憬に促されて神を渇仰し、渇仰することによって次第に自分の叡知的本性を脱自的に円現して行くとき、彼の自己実現はすなわち宇宙そのもの自己実現なのである。神にたいする彼の愛慕の中には、神にたいする全宇宙の切ない憶いが籠められている。彼はいわばすべての存在者の與望を一身に担って神を愛慕して行くのである……それは宇宙全体に沸騰しつつある生命的動性の人間に於ける凝集であり、人間の実践であると同時にそれを超えて全宇宙の実践である。人間霊魂は、全宇宙が自己を自覚し、自覚することによって神の永遠性に参与する場所なのである。」(井筒・前掲書149〜150)ということである。

 プラトンが、エロースの神的狂気によって人間の魂が感覚界からイデア界に上昇するとしたことは、アリストテレスによって、このようなかたちで宇宙的規模にまで拡大されたのである。プラトンが、人間の魂を感覚界からイデア界に完全に超脱させる能力とした知性的思惟は、アリストテレスによって能動的知性としてとらえ直された、ということができる。プラトンは、死の練習によって人間の魂は肉体から解放され、善のイデアと合一し、それを観想するとした。アリストテレスは、それを、肉体から切り離された能動的知性が神と合一し、それを観想することとしてとらえたのである。

 観想的生活による神の永遠性への参与

 アリストテレスは、観想活動としての知性の活動によって、人間のもちうる完全な幸福が生じる、としている。アリストテレスは、観想的生活について次のように述べている。

 「しかしながら、このような生は人間の程度を上まわる生であると言えよう。というのは、ひとは人間としてあるかぎり、そのような生を持ちえず、或る神的なものが人間のうちに存するかぎりにおいて、これを持ちうると考えられるからである。そして、この神的なものの存在が〔形相と質料から〕合成されたものの存在に優越するものであるだけ、それだけいっそう、この活動も他の器量による活動に優越するものである。こうして、知性が人間に比して神的なものであるとすれば、知性に従った生活も人間的な生活に比して神的な生活であることになろう。われわれは『人間であるかぎり、人間のことを、死すべきものであるかぎり、死すべきもののことを想え』と勧めるひとびとの言葉に随ってはならない。むしろ、われわれに許されるかぎりにおいて、不死なるものに近づき、われわれ自身の内にあるもののうちで最高のものにしたがって生きるようあらゆる努力を尽くすべきである。なぜなら、これは嵩においては小さいものにすぎないにしても、力と尊さにおいては一切のものを遠く越えるからである。そして、これがわれわれ自身のうちにあってわれわれをを主宰する優れた部分であるとすれば、これこそまさに各人そのものであると考えられよう」(『ニコマコス倫理学』P1177b〜1178a)

 このような観想的生活は、人間の能動的知性が、真の能動的知性である神と合一したときに実現する。神の知性の本性は思惟であり、神においては思惟するものと思惟されるものとは同じである。

 このことから、神は「思惟の思惟」といわれる。神は、自己自身を観想するのである。人間の能動的知性の働きは、神の自己観想の働きと合一することによって神を観想するとともに自己自身も観想する。すなわち、能動的知性が、純粋形相としての神を観想するとともに質料から独立したまじり気のない自己自身を観想するのである。ここには、実在・実存体験としての観想体験が成立している。しかし、観想体験は、それだけにとどまるものではない。

 すでに言及したように、神は、不動の動者として宇宙万物を自らのもとに引き寄せており、すべての存在者は神を恋い慕いそこに至ろうとする欲求を有している。その欲求は、人間の能動的知性において自覚的となる。人間は、能動的知性の働きによって究極目的である神に到達する。そのとき、人間の働きを媒介として宇宙万物もまた究極目的を達成する。すなわち、人間が観想的生活によって神の永遠の生命に参与するとき、宇宙万物も人間の実践を媒介として神の永遠の生命に参与するのである。

 全実在界大の実在・実存体験のロゴス化としての形而上学

 こうして「宇宙全体に沸騰しつつある生命的動性」が人間の内に凝集され、永遠の生命という原理によっ秩序づけられることになる。実在・実存体験としての観想体験は、全実在界大の規模を有するものとして成立するのである。純粋形相としての神を観想することと一体的に、質料から独立した形相としての自己を観想することは、同時に、宇宙万物の形相を観想することなのである。

 すなわち、観想は、「『もの』の全体即ち宇宙がその統一原理から観られることでもある。知性(原文理性を知性と改めた)が『諸形相の形相』としての自己自身を観ることは、同時に諸形相を本質とする諸物の全体を観ることでもある。また宇宙をかく最も深い統一から全体として観ることは、神を観ることと一つでもある。神は宇宙に秩序を与へコスモスとして成立させているものであるからである」(西谷啓治「アリストテレス論攷」著作集第5巻P197)ということである。人間の能動的知性は「世界に於ける一切のものの非質料的なる形相を観想(原文観照)のうちに摂取し、従ってまた世界万有をその内面から(即ちその永遠なる諸形相に於いて)非物質的に包摂する」(西谷前掲書P200)のである。

 プラトンが、善のイデアを観想した意識は、感覚界とそこにおける多数の事物を、原型としてのイデアの統一連関を不完全なかたちで映し出すコスモス(宇宙、秩序)としてとらえる――とした事態を、アリストテレスは、そのようなかたちでとらえたのである。それは、永遠の生命に参与した人間が、全実在界の真実相を永遠の相の下に観ることである、ということができる。アリストテレスの形而上学は、そのような全実在界大の実在・実存体験のロゴス化として形成されたのである。

 無限の創造的エネルギー・生命が貫流・遍満している超感覚的実在界における一人ひとりの人間は、自覚的行為によって他のすべての個物・個人と一体化し、それらと同一の創造的生命で結びつけられた生を実現することができるのであり、それが全実在界大の本来的自己である、ということにはすでに言及した。アリストテレスの全実在界大の観想は、現代において、そのようなものとしてとらえ返すことができる。

 アリストテレスの観想は(プラトンの観想も)、単に一定の対象に思いを凝らすということではない。観想によって人間は、真実在である神に直接触れ、それ直観する。人間は、能動的知性の働きによって永遠にして最高善である神と合一する。そのことは、物質・エネルギーを超える超感覚的な無限の創造的エネルギー・生命によって神と人間が一つに結びつけられるということとしてとらえす返すことができる。そのとき人間は、自己に含まれる神的なもの、神の働きの似像を実現する。それによって各人は、本来そのものである自己となる。

 このことは、一人ひとりの人間に潜在する可能性としての本来的自己を実現することとしてとらえ返すことができる。人間は、宇宙に秩序を与えコスモスとして成立させている神の働きの似像となることによって、神の働きに参与し、観想によって宇宙に秩序を与えるものとなる。すなわち、人間は、宇宙万物と一体化し、そこに調和を実現するのである。人間が世界の一切のものの非質料的形相を観想のうちに摂取するとは、神と無限の創造的エネルギー・生命によって一つに結びつき本来的自己を実現した人間の働きによって、全実在界においてすべての個人のみならず、すべての個物が超感覚的な(非質料的な)無限の創造的エネルギー・生命によって一つに結びつけられるものとして相互の調和を実現すること、としてとらえ返すことができる(神の純粋形相、人間の諸形相の形相、一切のものの内面の非質料的形相、これらは超感覚的実在である無限の創造的エネルギー・生命にほかならない)。

 アリストテレスの形而上学の現代的再生の方向性

 このようなものとしてアリストテレスの形而上学は、現代に甦ることができる。すなわち、本来的自己を忘却し、感覚界で自己完結する近代科学技術文明の中での科学的知識と技術的的意志にもとづく生活がもたらした死滅の危機に直面する現代の人間に、感覚界から超感覚的実在界への転換を促し、永遠無限絶対の実在に至る途を示す――という現代の根本的な思想課題を解決しうるものとして現代的に再生するのである。

 アリストテレスは、観想的生活は、人間にとって最善の生活であるが、ほんのわずかな時間しか楽しめない、といっている。しかし、彼は、人間は自分自身のうちにある最高のものに従って生きる(観想的生活)よう、あらゆる努力を尽くすべきだと述べている。井筒俊彦は、観想的生活は宇宙全体に沸騰しつつある生命的動性の人間における凝集であり、人間の実践であると同時に全宇宙の実践である、と述べていた。これは、人間が、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命を自覚的行為によって制御するということにほかならない。

 近代合理主義は、形而上学を否定したことにより、それが固有の対象してきた超感覚的実在界を見ることができなくなった。そのため人間は、自覚的行為によって、無限の創造的エネルギー・生命を制御することができない。こうして無限の創造的エネルギー・生命は無限衝動となって感覚界に噴出してゆき、人間の科学的知識と技術的意志を駆り立ててゆくのである。このような事態を根本的に転換させるためには、理性を越える能動的知性を働かせる観想的生活を、これまでとらえ返したようなものとして実現するために現代の人間の一人ひとりがあらゆる努力を尽くしてゆくことが求められている。

 インド 

 ウパニシャッドの哲学

 万物の根本原理であるブラフマンと個人の根本原理であるアートマン

 インドにおける神話的思惟から哲学的思惟への転換は、ヴェーダの宗教からウパニシャッドの哲学(ウパニシャッドは、ヴェーダ聖典の最後の部分であり、ヴェーダの終わりの部分を意味するヴェーダーンタも呼ばれる)へというかたちで展開された。ヴェーダの宗教は、自然の諸現象を神格化した多神教である。天の神、太陽神、地の神、水の神など多数の神々は、超感覚的な力、作用を有し、人間に幸福や罪禍をもたらすと考えられた。人間は祭祀、呪術によってそれらの神々に働きかけることで、さまざまな願望を達成しようとした。

 すでに言及したように、神話的思惟の特徴は、感覚界と超感覚界という二つの存在領域を区別せず、混同することにあった。すなわち、自然諸現象と超自然界・超感覚界の力を混同するのである。しかし、人間の知力の進歩とともに、宇宙の唯一絶対の根本原理を探求する傾向が強まった。

 このことは、人間が、感覚界と超感覚界を区別したということを意味している。それによって、神々の力に対し祭祀や呪術によって働きかけることで願いをかなえようとすることへの批判も強まった。リグ・ヴェーダには「汝らは、この万有を生みたる者を知ることなからん。汝らとの間には他物の介在するあり(真理の認識を阻む障害物を指す)。讃歌者は(迷)霧に覆われ、饒舌を事とし(祭獣)の生命を奪いつつ徘徊す」(10・82・7)という祭祀批判が見られる。

 こうして、最高の創造神として、プラジャー・パティ(造物主)が考えられるようになった。すなわち「プラジャー・パティよ、汝は太古変わらぬ財宝の守護者、神々の父、万物の創造者、全世界の主宰者、遠くかなたより保護する神なり」(『タイッティリーヤ・ブラーフマナ』2・8・1・3)というのが、それである。

 ここには、万物の根本原理を探求しようとする哲学的思惟の萌芽がある。ウパニシャッドの哲学は、ここに淵源するのである。ウパニシャッドでは、万物の根本原理をブラフマン(梵)とする。ブラフマンは、生成変化する現象世界の根底の永遠無限絶対の実在である。それに対する個人の根本原理が、アートマン(我)である。アートマンは、不生、不滅、不老、不死の最高の実在である。ウパニシャッドでは、この両原理の同一を説く。

 すなわち「哲学的に最も純粋な思弁を背景とし、後世への影響の最も著しい教義を求めれば、大宇宙の本源を尋ねて到達したブラフマンすなわち梵(brahman)と、個人の本体として識得されたアートマンすなわち我(atman)とを最も重要な概念と認めざるを得ない。しかもこの両原理が本質的には同一にして、大宇宙の方面から説くも、小宇宙すなわち個人の側から説くも、結局一元的世界観に徹底するところに、ウパニシャッド哲学の特徴が存する。これが世にいわゆる梵我一如の教義である。」(辻直四郎『ウパニシャッド』P41)ということである。

 感覚界から超感覚界への超脱とブラフマンとの合一

 ウパニシャッド哲学は、感覚界を超脱し梵我一如の状態に到達すること究極目的とするものである。「ウパニシャッドの基本をなす教義を一言に要約すれば、大宇宙(自然界)の本体と小宇宙(個人)の本体とは同一であり、この真理を悟って生死の繋縛から離れて解脱するにある」(辻直四郎『インド文明の曙』P160)ということである。

 ギリシャにおいて哲学的思惟を成立させた思想家と同じように、ウパニシャッドの思想家たちも、感覚界と区別される超感覚界という存在領域の実在を認め、その根源・根本原理を探求した。それによって、インドにおける哲学的思惟が成立したのである。ギリシャの思想家たちは、感覚界から超感覚界に超脱し、永遠無限絶対の実在と合一するという実在・実存体験を論理的思惟によって把握することに努めた。

 ウパニシャッドの哲学者が感覚界から超感覚界へ超脱するための方法としたのが、ヨーガ(瞑想・禅定)である。ブラフマン・アートマンは、感覚によってとらえることができない超感覚的実在である。ブラフマン・アートマンをとらえるためには、瞑想によって感覚器官の働きを抑止し、感覚界へ向かう志向を超感覚界へ向かう志向へ転換しなければならない。それによって、感性的直観、理性と根本的に異なる知的直観・知性(世俗知を超える真知といわれるもの)が働き、人間が自己の実存の内部を深く探求してゆくことが可能となる。こうして人間は、自己の根底においてブラフマンとの合一の状態に達する。それが瞑想によるブラフマン・アートマンの悟証・解脱である。「実にかの最高梵を知る者は梵となる」(『ムンダカ・ウパニシャッド』3・2・9)といわれているのが、それである。

 これが、ウパニシャッドの哲学思惟が到達した最高の境地といわれるものである。それをあらわすものが、「われは梵なり」(『ブリハット・アーラニヤカ・ウパニシャッド』1・4・10)、「汝はそれなり」(『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』8・7)という二大格語である。ここには、ギリシャにおけるソクラテス以前の哲学者たちと同一の実在・実存体験が存在している。ウパニシャッドの哲学も、このような体験を基体として成立したのである。

 根本原理については、「そは動く、(同時に)そは動かず。そは遠くにあり、しかもそは近きにあり。そは万有の中にあり(遍在性)、しかも万有の外にあり(超越性)」(『イーシャー・ウパニシャッド』)といわれている。ブラフマン・アートマンは、時間・空間を超越した永遠無限絶対の実在である。しかし、それは、単に超時間・空間的な無限絶対的次元にとどまるものではなく、同時に、大宇宙である自然界と小宇宙である個人に内在するものである。ブラフマン・アートマンは、無限絶対的次元と有限相対的次元の統合態としての全実在界に貫流する超感覚的な無限の創造的エネルギー・生命としてとらえ返すことができる。感覚界から超感覚界に超脱しブラフマンと合一した自己は、それを根源として、有限相対的次元に遍満する無限の創造的にエネルギー・生命と有限相対的自己との合一を実現することができる。

 こうして、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と、人間の内部に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命とが、人間の自覚的行為によって一体化させられる。それは、超感覚的な力を自然現象と混同し、祭祀や呪術によって制御するのではなく、人間が超感覚的実在界を感覚界と判然と区別し、そこにおける無限の創造的エネルギー・生命を自覚的行為(瞑想・真知)によって制御しうる能力を獲得したことにほかならない。こうして、ブラフマンとの合一に達した人間は、有限相対的次元において安静、平穏、平静となり、倫理的な完全状態を実現するのである。 

 釈迦

 「我執」を原因とする生死からの脱却を目的とする仏教

 ウパニシャッドの思想運動を通じてインドで初めて形成された哲学的思惟を継承して成立したのが、釈迦(ゴータマ・ブッダ)の仏教である。ウパニシャッドの究極目的は、人間が梵我一如の状態に到達することで生死の繋縛から離れて解脱することにあった。仏教もまた、人間がダンマ(法)という真実在と合一することによって生死の繋縛から解脱することをめざすものである。両者は、人間が感覚界から超感覚的実在界に超脱し、永遠無限絶対の実在との合一状態に達することを究極目的とする――という思想の構図においては同一なのである。

 仏教は、人間の生老病死という苦悩を解消することを根本問題としている。感覚界が、それ自体の内に絶対的根拠を持たない生滅無常の存在領域であるということには、すでに言及した。そこにおけるあらゆる存在者は、一瞬一瞬、生じては滅している。感覚界には、恒常不変の存在者というものは存在しないのである。にもかかわらず、人間は、生滅無常の自己の生の常住を願い、それを繋ぎとめようとする。すなわち、生に執着し、死を厭うのである。

 このため、人間は、生死の流れに押し流されて転がり続け、貪り、怒り、愚かさなどの煩悩に振りまわされて生きてゆくことになる。それが、生死流転の人間の姿である。仏教がそれからの解脱をめざす生死の繋縛とは、そのようなものである。その原因は、人間が、自己の生が生滅無常なものであることを知らず、それを常住不変なものとみなして執着する「我執」にある。したがって、人間が生死の繋縛から離れるためには、我執から脱却することが必要となる。

 感覚界のみを唯一の現実とみなし、そこに自己閉鎖的となる日常的自己は、自己の生が生滅無常なものであることを知らず、我執に支配されて生きているのである。そこには、感覚界から超感覚的実在界へ超脱しようとする思いは生じようもない。生老病死をはじめとする人生の苦悩を経験し、自己の生の生滅無常を痛感したとき、人間に、はじめて生死の繋縛から離脱したいという深刻な願い、離脱しようという強い意志が生じてくるのである。それこそが、人間を感覚界から超感覚的実在界へ根本的に転換させるための重大な機会であり,動機となるのである。

 だが、多くの人間は、苦悩に直面しても、それを直視することなく、何とかそれを回避して、あくまでも感覚界に自閉しようとする。それは、我執以外の何ものでもない。また、中途半端な無常観から厭世的に現実逃避するという生き方もある。それも、また、感覚界に自閉する自己に執着し、そこから根本的に離脱することを欲しないという我執の一変種にすぎない。生死の超脱は、そのような弱々しいものではない。

 瞑想によるダンマとの合一という「涅槃」への到達

 人間は、強い意志力によって激しい苦悩に耐え、自己の生の無常を徹底的に自覚しなければならない。そのことが理解できないかぎり、釈迦が生老病死という苦悩からの脱却を根本問題としたということも、したがって彼の思想も真に理解することはできない。

 人間が自己の生の無常を徹底的に自覚するところに、それを超脱して無限絶対の実在との合一状態に到達しようとする強い実践的衝動が生じてくるのである。『マッジマ・ニカーヤ』には、釈迦の次のような言葉がある。「さあ、わたしは、自ら生でありつつ生そのものなかの患いを知って、不生にして無上なる安穏の涅槃を求めよう。同じように自ら老・病・死・憂い・汚れでありつつ、それぞれのなかの患いを知って、不老・不病・不死・不憂・不汚にして無上なる安穏の涅槃を求めよう。」

 涅槃とは、人間が感覚界から超感覚的実在界に超脱して真実在であるダンマとの合一に達した究極的な悟りの境地である。人間がそこに到達するためには、感覚界とそこにおける我執に支配された生を、一度絶対的に否定しなければならない。この絶対的な自己否定、宗教的な「死」を経ることなしには、人間は涅槃に達することはできない。この「死の実践」によって、宗教的回心といわれるものが実現するのである。

 釈迦は、涅槃に達するための方法として、ウパニシャッドの伝統を継いで「瞑想」(禅定)を実践した。釈迦は「ひとり思いにふけり、禅定を怠らず、何ごとにつけても常に法に従って実践し、およそ生存には苦労があることに思いを致し、犀の角のようにただひとり行動せよ。」(『スツタニパータ』68)と述べている。瞑想(禅定)とは、肉体の内外から働きかけを受ける感覚器官を抑止し、感性と連結している理性をも抑止しする行為である。それは、感覚によってとらえることのできる対象を唯一の現実とみなし、生滅無常な生を実体的自己同一性を有するものとみなすような意識を全面的に排去することにほかならない。それによって、感性界とそこにおける我執に支配された自己が絶対的に否定されることになる。

 このような「死」を経ることによって、人間は、超感覚的実在界に超入し、そこにおいて感性的直観、理性と根本的に異なる知的直観、知性を働かせることが可能となる。人間は、知的直観においてダンマと合一し、それを直接体験するとともに、全実在界の真実相を知性によってとらえる。瞑想(禅定)とは、このような全人格的転換の総体的実践、自覚的行為なのであって、単なる精神集中ではない。それによって釈迦は、生死を解脱しダンマとの合一という涅槃に到達したのである。

 釈迦におけるダンマ(いかなる形態をも超えた純粋生命)の体験

 釈迦は、瞑想における「入出息念定」を重視している。入出息念定とは呼吸を制御することであるが、それだけにとどまるものではない。玉城康四郎は、それについて「肺に出入する生理的な呼吸が調えられていくにつれて、精神も身体も呼吸に従うようになって、呼吸自体が生命的となり、さらに深まり統一されて、精神も身体も全人格が一体となり、全人格そのものが息づいていく、そしてついには、呼吸も自己も忘却のうちに融けていくのである。生理的な呼吸から生気的な呼吸へ、生気的な呼吸から全人格的な呼吸へ、そして呼吸も自己も人格体も、すべて瞑想そのものとなっていくのである。ゴータマは、これこそ解脱への道であると決定したのである。」(『原始仏教』P29〜30)と述べている。

 このようなかたちで呼吸が制御されることで感覚器官が抑止され、すべてが瞑想という実践となるのであるから、入出息念定は、知的直観、知性の働きを活性化させることとしてとらえ返すことができる。釈迦は、それによってダンマと合一し解脱したのである。釈迦が解脱したときの「ウダーナ」(即興の詩)は「実にダンマが、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。」と述べている。

 そのことについて玉城康四郎は、「ダンマは、すべての思慮分別を超えた、きわめて微妙なものであることが知られる。したがってそれは、ダンマが自己自身に顕わになったときに、初めてダンマとして頷かられ得るものである。強いていいかえれば、ダンマとは、まったく形のない、いのちの中のいのち、いわば純粋生命ともいうべきものであろう。このような、いかなるる形態をも超えた純粋生命が、自己自身に顕わになるとき、その時こそが目覚めの実現であるということができる。」(『仏教の根底にあるもの』P23)と述べている。

 玉城は、「いかなる形態をも超えた純粋生命」であるダンマを「永遠の活動者」とも呼んでいいる。ダンマは、物質・エネルギー、生物的生命を超える無限の創造的エネルギー・生命という実在にほかならない。その無限の創造的エネルギー・生命が、瞑想を実践しつつある釈迦のうちに浸透、充満し、永遠無限絶対の実在であるダンマと一つに結びつけるのである。それによって釈迦は、ダンマを直接体験した。ここには、ダンマを直観することにおいてそれと一体的な自己を直観するという根源的な実在・実存体験が成立している。釈迦は、ダンマと合一することによって生死を解脱し、我執を克服した自己が実現したことを知性によってはっきりと自覚した。釈迦が到達したダンマとの合一状態は、単なる脱魂状態や忘我状態ではなく、そのような知性の働きをともなったものであった。

 それによって釈迦の体験は、すべての人間に教えうるものとなり、すべての人間をダンマの直接体験に導くことが可能となったのである。釈迦は、その八十年の生涯を終えるにあたって弟子のアーナンダに「アーナンダよ、自らを灯とし、自らを拠り所として、他のものを拠り所とせず、ダンマを灯とし、ダンマを拠り所として、他のものを拠り所とせずに住せよ。」と教えている。これが、いわゆる「自灯明・法灯明」すなわち、ダンマを灯明として自己を照らし、自己を灯明としてダンマを照らすということである。これは、アリストテレスが、人間の能動的知性の働きは、純粋形相である神を観想するとともに質料から離れた自己自身を観想する――とした観想体験と対応させてとらえ返すことができる事態である。

 縁起の理法の自覚と「我執」にとらわれた生き方の克服

 ダンマは、有限相対的次元と無限絶対的次元とからなる全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命である。すなわち、ダンマは、永遠無限絶対の実在として有限相対的次元を超越するだけでなく、同時に、そこに内在する実在である。有限相対的次元は、絶対者であるダンマに包越されている。

 したがって、釈迦が、絶対者であるダンマと自己の合一を実現するとき、同時に、有限相対的次元に内在するダンマと自己の合一を実現する。有限相対的次元は、瞑想を実践しつつある釈迦の解脱に包越されている。知的直観、知性を働かせつつある釈迦の瞑想意識は、有限相対的次元を包越しているのである。それによって釈迦は、有限相対的次元における人間の生の実相を自覚した。それが、縁起の理法である。

 縁起の理法とは、生老病死など人間の一切の苦悩が、何を原因として生じるかを明らかにすると同時に、その原因が止滅することによって苦悩も止滅する、ということを明らかにした真理のことである。縁起説では、無明−執着−苦というように因果の系列がたどられるが、最も発達した十二支縁起では、十二支(項目)があげられている。それは次のようなものである。

 「無明によって生活作用があり、生活作用によって識別作用があり、識別作用によって名称と形態とがあり、名称と形態によって六つの感受機能があり、六つの感受機能によって対象との接触があり、対象との接触によって感受作用があり、感受作用によって妄執があり、妄執によって執着があり、執着によって生存があり、生存によって出生があり、出生によって老いと死、憂い・悲しみ・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの苦しみのわだかまりがすべて生起する。」(中村元『ゴータマ・ブッダ』?P394)。これが、縁起の順観である。

 それに対して、無明の止滅からはじまって次々と原因の系列の止滅をたどってゆけば、苦しみのわだかまりがすべて止滅する。これが、縁起の逆観である。この十二支縁起は、釈迦が悟りの境地に達したときに説いたものではなく、後に成立したものであるが、その思想内容は同一である。

 無明とは、ダンマという真実在と縁起という理法に対する根本的な無知である。この人間存在の根底にある根本的な無知のために、人間は生の常住を願い、それに執着し、死を恐れ、逃れようとする。そこから苦悩が生じることになる。この無明を止滅することによって、苦悩は止滅し、生の常住を願い死を恐れることから解放される。ここには、有限相対的人間の二つの生き方の逆行動的対立がある。前者は我執にとらわれた生き方であり、後者はそれを克服した生き方である。

 生老病死という人間の根本問題に苦悩した釈迦は、瞑想を実践して生死を解脱し、涅槃の境地に到達した。釈迦は、瞑想を実践しつづけることによって、涅槃の境地に包摂された有限相対的次元の実相、すなわち縁起の順観と逆観を知った。ここには二つの生があるわけではない。存在するのは、同じ一瞬一瞬、生滅する一つの生である。ただ、釈迦は、感覚を抑止して知的直観、知性を働かせることによって、生滅無常が生の実相であることを知り、生の常住を追い求めることから解放された自由の境地に至りえたのである。

 絶対無の形而上学の伝統の原点としての釈迦の思想の現代的再生

 その生は、創造的エネルギー・生命によって絶対者であるダンマと自己が一つに結びつけられた実在・実存体験に支えられたものとして、創造的エネルギー・生命が脈打つものとなっている。感覚によってとらえることのできる対象を唯一の現実とし、我執に支配されている人間は、そのような生を実現することができず、生死流転するのである。

 二つの生き方の違いは、苦悩を直視し、無常を感ずるか否かにある。釈迦は、自ら苦悩を直視し、無常を感ずることによって、生死を解脱し、二つの生き方が逆行的に対立するものであることを明らかにするとともに、生死流転しているすべての人間が解脱しうることを明らかにしたのである。

 ダンマと自己の合一という釈迦の解脱は、梵我一如というウパニシャッドの解脱と類似している。だが、釈迦は、固定的実体性を有するブラフマン・アートマンを否定した。これが、無我説である。この思想は、やがて空、絶対無へと展開されてゆく。釈迦の実在・実存体験は、プラトンの実在・実存体験と同一である。ただ、プラトンが、体験した絶対者を「有」としてロゴス化したのに対し、釈迦はダンマという絶対者を「絶対無」としてロゴス化した、ということができる。それによって、釈迦の思想は、西洋の有の形而上学に対する東洋の絶対無の形而上学の伝統の一原点となったのである。

 感覚界から超感覚界に超脱した釈迦は、有限相対的次元と無限絶対的次元の統合態である全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命(ダンマ)と、自己の内部に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命(ダンマ)を、自覚的行為によって一体的に制御した。現代の人間は、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命を制御することができない。そのため、超感覚界から噴出してくる無限衝動に知識と意志を駆り立てられ、死滅の危機に直面するに至った。それは、生死流転の極限化によって生じた危機だということができる。釈迦の思想は、その危機を根本的に克服する途を示すものとして現代に甦るのである。

 中国

 殷周革命と天の思想

 神話、呪術からの脱却と「帝」から「天」への移行

 中国において、神話的思惟と根本的に異なる哲学的思惟の萌芽が現われたのは、王朝が殷から周に移った殷周革命の頃である。神話的思惟の特徴は、感覚界と超感覚界を区別しないことにあった。そのため神話的思惟は、超感覚的な力を、自然物、自然現象が有する神秘的な力として経験する。こうして、自然物、自然現象が神格化された多神教が成立する。

 殷王朝の宗教は、日、月、星、雨、風、雷などの天の神や山、川などの神が存在する多神教であった。それらの神々は、雨や風、みのり、戦争などに関して力を発揮する。これらの神々の最高の位置に、人格神としての上帝が存在する。しかし、上帝は、超感覚界における唯一の絶対神ではない。上帝は、個々の神々の力を結びつけるものとして、それらとともに働くのである。このことは、上帝が、神々と同じように自然物、自然現象と同一平面において経験されるということを意味している。

 ここに、感覚界と超感覚界を明確に区別することをしないという神話的思惟の本質的な限界がある。これらの神々に働きかけて幸いを受け災いを避ける呪術、祭祀を司ったのが、巫であった。殷王朝における王は、この巫の長として祭祀を行なった。王は上帝の正嫡者として、人間を絶対的に支配する祖霊を祭るための犠牲として人間を供するという非合理的なことをなした。

 殷周革命は、そのような神話的思惟からの脱却だったのであり、単なる政治権力の移行ではない。それは、ギリシャにおいてイオニアの自然学、エレアの存在論に始まり、インドにおいてウパニシャッド哲学に始まったと同じ、古代における「精神革命」だったのである。

 この革命によって、それまで混同されていた感覚界と超感覚界という二つの存在領域が、判然と区別されることになった。多神の中心である帝に代わって、感覚界を超越する天という実在が登場した。帝から天への移行は、多神が一つの超感覚的実在の内に統合、解消された、とみることができる。これは、オリンポスの神々、ヴェータの神々が、唯一の絶対者、根本原理の内に統合、解消されたことと軌を一にするものである。天は、それらと同じく永遠無限絶対の実在である。帝が人格的であったのに対して、天が非人格的なものであることも、そのことを示すものといえる。

 帝が天に変わるとともに、祭祀の主宰者も巫から祝、史に変わった。白川静によれば、祝、史の祭儀は、祝詞による祈りを主とするものであり、周王朝創業当時の周公、召公は、最高の聖職者の地位にあった。史は、当時の最高の知識人であったという。このことは、彼らの執り行なった祭祀が、呪術者である巫のような忘我状態、脱魂状態によって神と合一するというものではなく、自覚的なものであったことを示している。

 祈りによる無限の創造的エネルギー・生命との一体化

 周公の祈りは、天に対するそれであった。周公は、祈りという自覚的行為によって感覚界から超感覚界へ超脱して天という実在と合一し、それを直接体験したのである。それは、イオニア、エレアの哲学者、ウパニシャッドの哲人と同一の実在・実存体験である。天と合一した周公は、そこから万物万人を見た。それは祈りという行為によって全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化することによって、その意識に全実在界の真実相が映し出されたということを意味している。

 周公は、万物万人の根源に天が実在することを体得し、そのことにもとづいて周の王の道徳的、政治的な責任がどのようなものであるかを示したのである。周の王は、天の命を受けて、民を治めるのである。天の意志は、民の意志として現われる。したがって王は、徳行を積んで民を哀れむ政治をしなければならない。そうでなければ、天命が絶たれるのである。

 周公と召公が文王に与えた訓戒の言葉は、次のようなものである。「天亦た四方の民を哀れむ」(召誥)。「天命に奉答して四方の民を和恆し、師を置く」(洛誥)。天に対する敬虔の念は、民に対する哀れみの心となって現われるのである。周におけるこのような天と人間との関係は、祖霊を祭るためには人間を犠牲にした殷における帝と人間との関係とは根本的に異なっている。そのことは、人間が、感覚界と超感覚的実在界を区別し、前者から後者に超脱し、その実相をとらえたことによって可能となった。殷周革命は、このようにして中国における哲学的思惟の萌芽を生み出したのである。

 孔子

 孔子における天との合一体験としての「仁」

 周公の天との合一体験のにもとづく思想を継承し、完成させたのが、孔子である。よく孔子は合理主義者である、ということがいわれる。『論語』の「子、怪・力・乱・神を語らず」(述而)などの言葉を見れば、そのことは一応首肯できる。たしかに孔子は、神話的思惟から脱却しており、神々に呪術、祭祀によって働きかけることで現世的な利益を得るというような態度を厳しく斥けた。そのかぎりでは、彼を合理主義者ということもできる。だが、孔子は、感覚界が唯一現実的であり、超感覚界などというものは非現実的であるとするような底の浅いに合理主義者ではなかった。また、彼の道徳思想、政治思想は、有限相対的存在としての人間のみを対象とする合理主義の枠内にとどまるものでもなかった。

 孔子は、自覚的行為によって感覚界から超感覚的実在界へと超脱した。それは、外の感覚界へ向かう志向が自己の内部へ転換されたということを意味する。孔子は、自己の内部を深めていった根源において永遠無限絶対の実在である天と合一し、それを直接体験した。この直接体験において天と合一した人間を、孔子は「仁」と呼んだ。それが、孔子における「真の自己」「本来的自己」であった。周公における天と人間の合一という体験は、孔子によって仁の思想として完成され、儒教の思想的中核となった。

 天との合一体験は、プラトンにおける善のイデアとの合一、釈迦におけるダンマとの合一などと同一の実在・実存体験である。孔子は、天の体験をすることによって全人類に普遍的な真の自己の自覚に到達したのである。仁の実現は、すべての人間の生の究極目的である。「子曰く、仁遠からんや、我仁を欲すれば、ここに仁至る。」(『論語』述而)と言われているように、仁は、それぞれの個人を遠く離れたものではない。それは、それぞれの個人自身の内面の最も深いところに内在しているのである。仁は、自己の本源である。だから、仁をいたずらに自己の外に追い求めるかぎり、それぞれの個人は、それに到達することはできないのである。

 仁は、それぞれの個人が自己自身の自覚的行為によって実現するほかないものである。すなわち「仁を為すは己に由りて、人に由らんや」(『論語』顔淵)ということである。「よく一日その力を仁に用ふること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。蓋しこれ有らん。我未だこれを見ざるなり。」(『論語』里仁)ともいわれている。すべての個人が、自分自身で仁を実現しうるだけの力を有しているのである。したがって、自分には力が不足しているから仁を実現できないなどという人間はありえないということである。

「克己復礼」の実践による「仁」の実現

 だが、孔子の言葉は、仁の実現がすべての個人にとって容易なものであるということを意味するものではない。それぞれの個人が感覚界から超感覚界に超脱し、仁を実現するためには、感覚界とそこにおける自己を絶対的に否定する主体的実践、自覚的行為が求められる。

 それが、「克己復礼」の実践である。『論語』には、「己れに克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。」(顔淵)とある。仁は、すべての個人の内面に潜在する本来的自己である。ただ、それは、通常は、私心・私欲に覆われ可能性の状態にとどまっている。したがって、仁を実現するためには、私心・私欲を克服しなければならない。それが、己に克つということである。

 礼とは、人間と神をつなぎ、社会に秩序を与えるために従わなければならない行為の規範であった。孔子は、それを内面化し、それぞれの個人が天と合一するために従うべき行為規範とした、ということができる。それぞれの個人は、私心・私欲を克服し礼に従って行為するならば、もともと自己自身に内在していた潜在的可能性としての仁を全面的に実現することができるのである。克己復礼の実践によって無限絶対的次元における万物万人の根源である天との一体化を実現した自己は、同時に、有限相対的次元における万物万人との一体化を実現することができる。「一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す」とは、そのようなこととしてとらえ返すことができる。

 克己復礼の実践は、釈迦が我執を克服し、ダンマとの合一に到達した瞑想の実践と同一の構造を有している。釈迦は、ダンマと合一することによって、すべての人間が生死を解脱しうることを示した。孔子は、天と合一することによって、すべての人間が私心・私欲を克服して一体化できることを示したのである。そのことに関して、山室三良は次のように述べている。

 「道は天の現はれである。天は一切万象として現はれるが、人はそのもっとも優れたものである。道は一切万象の道であるが、人の道こそもっとも優れたもの、天は人によって自覚的存在となり、人によって道徳・芸術・学問などの世界を展いた。天は人を透してそのもっとも優れた働きを展開したが、人はまた、天なしにあり得るのでは無い。人は天から離れれば、浅い孤立した個であるにしか過ぎない。人は天に支へられ、天にかへり行って深さを得る。天にかへって初めて個は他の個と聯り、一切万象と一たり得る。天は個のもっとも深い処にかへることによって体験せられる。それは個の水平の軸に走ることによってではなく、自らの奥深く垂直に掘り下げることによってのみ、個の底をつきぬけて永遠のものに聯り得る。この天の体験(それを孔子は仁と言った)は、個にして個を越え、四海を兄弟とし、一切を一体にするものである。孔子の仁や知は、この垂直の軸から来るものであった」(『儒教と老荘』P97〜98)

 天と合一した自己は、同時に万物万人と合一する

 天は超感覚的な永遠無限絶対の実在であり、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命である。人間は、天と一体化することによって、それを根底として、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化することができる。しかし、天は感覚を超える実在であるから、感性およびそれと結びついた理性によっては体得・体認することはできない。天と人間の合一体験を実現するためには、感性、理性とは根本的に異なる知的直観、知性を働かせなければならない。しかし、それは、通常は日常的意識の感性、理性の働きに覆われて潜在状態にとどまっている。

 したがって、知的直観、知性を活性化するためには、感性、理性を抑止するための実践が必要となる。孔子の克己復礼の実践は、そのようなものとしてとらえ返すことができる。すなわち、克己復礼とは、感性的直観、理性を知的直観、知性に転換させるための実践ということができる。孔子は、仁はすべての個人の内に存在しているものであり、それぞれの個人がそれを実現しうるだけの力を有している、と述べていた。この力は、すべての個人が有している知的直観、知性という能力としてとらえ返すことができる。

 ただ、この能力は、前述したように日常的意識において働いている感性、理性によって覆われている。したがって、人間は、日常的自己のままで仁を実現することはできないのである。日常的自己とは、「天から離れた浅い孤立した個」すなわち超感覚的実在界における天という実在から遊離した感覚界における自己中心的な個、私心・私欲にとらわれた自己のことに他ならない。この私心・私欲を克己復礼の実践によって克服し、日常的自己を否定転換することによって、はじめて人間は、知的直観、知性を働かせることができるのである。

 それによって、自己は、天と合一し、両者が同一の無限の創造的エネギー・生命によって一つに結びつけられる。それと同時に自己は、万物万人と合一し、両者が同一の生命によっ一つに結びつけられる。それが、自己が自覚的行為によって、全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化し、自己の内に無限の創造的エネルギー・生命が貫流・遍満するということにほかならない。

 仁は、すべての個人の根源に内在するものであるから、自己が天と一体的となるとき同時に他の個人と根源から一体的となる。こうして自己は、天に敬虔な態度で対し、他の個人に思いやりの心(恕)で対することになる。すなわち「水平の軸における他に対する思ひやりが、生命のもっとも深いところ、敬または忠(生命における垂直の軸)と一つにされたのが仁である」(山室・前掲書P83)ということである。それによって、私心・私欲は根源的に克服され、仁が全実在界大の規模で働くのである。

「本来的自己」の実現を目的とする孔子の祈り

 このことは、アリストテレスが、神と合一した人間が純粋形相としての神を観想することによって、質料から独立した形相としての自己を観想し、同時に宇宙万物を非質料的な形相として観想する――というかたちでとらえていた事態に対応させることができる。いずれも、自己が、知的直観、知性を働かせて実在界における無限の創造的エネルギー・生命と一体化することによって体得・体認した事態である。

 この事態においては、有限相対的次元は、超感覚的な無限絶対の実在界と遊離した感覚界として自己完結するのではなく、人間の自覚的行為によって超感覚的な無限絶対の実在界に超感覚的な有限相対的実在界として包摂されているのである。アリストテレスの場合、このような事態を可能とするものは感性、理性を超える能動的知性の働きであったが、能動的知性という言葉を別にすれば、孔子の場合もこのことにおいて変わるところはない。

 孔子が底の浅い合理主義者ではないということには、すで言及した。そのことは、孔子が理牲以前のなんらかの非合理主義の立場に立っていたということを意味するものではない。孔子は、理性を越える知性に立脚する者として合理主義を超えていたのである。孔子は「知者は楽しみ、仁者は寿ながし」(『論語』雍也)と述べている。この言葉は、山室三郎が指摘しているように、天を除いては考えることができない。仁とは、超感覚的な無限絶対の実在の体験あるいは、その体験において天と一体化した人間のことであった。それに対応して知も、また、感性、理性を超えた知なのである。孔子は、知的直観によって超感覚的な実在と直接触れ、それを知性によって仁としてとらえたのである。祈りの実践によって感覚界から超感覚界へ超脱し天と合一するという周公の実在・実存体験を継承した孔子は、それを仁の思想として完成させた。

 孔子には、天に対する祈りがあった。孔子が病気になり状態が悪化したとき、子路が病気の平癒を神々に祈りたいと願い出た。それに対して孔子は「丘のいのること久し」(『論語』述而)といって、その願い退けた。すなわち、自分は久しく祈っているから、いまさら神々に助けを求める必要はない、と言ったのである。孔子の祈りは、呪術的祭祀によって病気平癒といった現世的利益を得ようとするようなものとは根本的に異なったものであった。孔子の祈りの目的は、天との合一による本来的自己を実現することであった。

 「天」から離れた時代としての現代に甦る孔子の思想

 すでに神話的思惟を脱却して、天を体験した周公の思想を継承した孔子にとって、祈りの対象は天以外にはありえなかった。孔子の天に対する祈りに関して、金谷治は「天は、孔子自身の個人的な内面とのかかわりで、その尊厳なすがたをあらわすものであった。天は、孔子にとって理性的な判断をこえた究極の存在である。孔子はそれに対して、ただ厳粛に敬虔に、そしてあるばあいには自己否定的に、個人的内面的なかかわりを持ったのである。孔子の天に対する態度は、確かに熱い宗教的な情操にささえられていたとしてよいであろう。」(『孔子』P99)と述べている。

  孔子の天に対する祈りは、祭祀儀礼を伴うものではなかったし、周公のような特別の聖職者だけによってなされるものでもなかった。孔子は、自分の祈りについて表立って語ることはしなかった。しかし、孔子は、自分が祈りによった到達した境地にすべての人間が克己復礼という主体的実践によって到達し得るということを明らかにした。こうして孔子は、周公が体験した天から離れた底の浅い合理主義が支配した春秋時代に、天の思想を再生、深化させた儒教を形成したのである。

 近代合理主義に基礎づけられた近代科学技術文明が、超感覚的実在界から遊離して自己完結的な運動を展開してゆく現代ほど、天から離れた時代は人類史上かつてなかったということができる。現代の人間は、「天から離れた浅い孤立した個」としてしか存在していない。そのような状況を根本的に転換させるものとして、孔子の思想は現代に甦るのである。

 老子

 「樸に復帰す」「嬰児に復帰す」という主体的実践

 老子の思想は、人間が生成変化する感覚界から超感覚界へ超脱し、永遠不変の実在と合一することを究極的目的とする――ということにおいて、孔子の思想と共通している。孔子において永遠無限絶対の実在であった天は、老子においては「道」とされている。道は、万物を生み出す始源であると同時に、万物を在らしめ、活動せしめている根源である。道は、生成変化する感覚界を超越していると同時に感覚界に内在している。それは、超感覚的な全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネギー・生命である。

 孔子においては、人間は克己復礼によって仁すなわち本来的自己を実現することができるとされていた。老子においてそれに対応するものは、「樸に復帰す」「嬰児に復帰す」という思想である。克己復礼と同じく、樸(樸とは、伐りだしてきたままで何の彫琢もしていない自然のままの木のこと、なんの作為も加えていないもののことを意味する)に復帰する、嬰児に復帰するということも、私心・私欲を克服する自己否定的行為である。『老子』には「自ら見ず、故に明かなり。自ら是とせず、故に彰わる。自らほこらず、故に功あり、自らほこらず、故に長し。」(二十二章)とある。このことは、私心の否定が「無心」の肯定に転ずるということを意味している。

 欲求については、「足ることを知れば辱められず」(四十四章)あるいは「私を少くし、欲を寡くす。」(十九章)といわれている。このことを、感覚界における日常的な道徳的規範と解してはならない。ここで問題とされているのは、私心の否定としての無心であり、私欲の否定としての「無欲」なのである。老子は、無欲を「寡欲」とも表現している。そのことに関して大濱晧は「ではどうして無欲といわずに寡欲と表現したのであろうか。無欲といえば否定を経ない即自的な無欲と誤解されるかも知れない。また欲望の絶無と誤解されているおそれもある。無欲が即自的な無反省的なものではなく、また絶無でもないことを示すのが寡欲という表現であると思う。」(『老子の哲学』P111)と述べている。少私についても同じことがいえる。

 問題は、私心・私欲の多寡ではなく、私心・私欲そのもの、すなわち自己中心的立場、利己的欲求そのものを否定することにある。それは、釈迦における我執の否定、孔子における天から離れた孤立した個の否定と同じ実践なのである。釈迦、孔子は、その実践によって感覚界から超感覚界へ超脱し、それぞれダンマ、天との合一状態に到達した。老子の私心・私欲の否定も、感覚界とそこにおける自己を絶対的に否定する主体的実践なのである。

 自己否定を経て自己本来のあり方に帰る

 こうして超感覚界へ転換した自己は、無私、無欲の行為すなわち「無為」によって道と一体化する。それが、樸に復帰する、嬰児に復帰するということである。『老子』には次のように述べられている。「その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿となる。天下の谿となれば、常徳離れず。嬰児に復帰す。その白を知りて、その黒を守れは、天下の式となる。天下の式となれば、常徳たがわず、無極に復帰す。その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷となる。天下の谷となれば、常徳すなわち足り、樸に復帰す。」(二十八章)

 その雄を知りて、その雌を守るということは、相対的な雄と雌の対立を超越した雄ということと解してよいであろう(白と黒、栄と辱についても同じ)。したがって、この文章の意味するところは、相対的な有心、無心の対立、有欲、無欲の対立を否定的に超越した無心、無欲、すなわち無為の行為によって道の常住不変の働きと一体化することで、樸、嬰児のような自己の本来的なあり方に帰る、ということである。そのことについて、大濱晧は次のように述べている。

 「<素>と<樸>もまた即自的なものではない。自己否定による本来のすがたが素であり樸である。二十八章に<僕に復帰す>とあるように、樸とは本来のもの究極のものである。本来のものに復帰するのは、単なる順環運動ではない。また、単なる始源にかえるのでもない。自己否定を媒介にした復帰である。それは<嬰児に復帰す>(二十八章)いうことで知ることができる。嬰児にかえることは、子供への逆もどりではなく、自己否定による自己本来のもの人間本来のものにかえることである。<素>と<樸>とは同じ意味である。したがって<素>もまた即自的なものでなく、自己否定を経た本来のものである。」(『老子の哲学』P112)

 このような自己否定すなわち宗教的に大死一番といわれるような「死」を経ることによって、はじめて私心・私欲にとらわれた非本来的あり方から本来的自己に帰ることが可能となる。このような死を経ることのない自己が、どのように私を少なくし欲を寡くするよう努めても、本来的自己を実現することはできないのである。

 高次の知である「無知(明))」による道の体得・体認

 道は、超感覚的実在である。したがって、直接目で見、手で触れることのできる感覚的対象を唯一の現実とする日常的意識を離れることのできない人間は、道をとらえることはできない。道をとらえるためには、感覚およびそれと結びついている理性の働きを抑止しなければならない。老子は、それについて「その兌を塞ぎ、その門を閉ずれば、身を終わるまでつかれず。」(五十二章)と述べている。目や耳などの感覚器官をふさぎ、理性の働きを閉じる、ということである。このことは、何も見ない、何も聞かない、何も考えないということではない。感性、理性を超越するということである。それが、「無知」になるということである。

 無知とは、無私が私の否定であり、無欲が私欲の否定であったように、通常の知を否定した高次の知である。この無知が、「明」である。老子は「その光を用いて、その明に復帰すれば、身のわざわいを遺すこと無し。これを襲常という。」(五十二章)と述べている。すなわち、外に向かう知を、内に向かう知に転換することである。道を体得・体認するためには、感性、理性によらず、無知すなわ明知によらなければならないのである。

 それは、永遠無限絶対の実在である道を体得・体認するためには、感性的直観、理性の働きを抑止し、それを超越する知的直観、知性を働かせなければならない、ということにほかならない。老子における道と明との関係は、孔子における天と知の関係に対応する。老子は、知的直観によって道と合一し、知性よってそれが本来的自己であると知ったのである。それは、道と自己が自他不二の関係にあることの自覚である。

 道から生み出された万物が道に復帰する運動と一体化した自己

 人間が無為の行為によって一体化した道は、万物の始源、根源であったが、老子には、道から生み出された万物は、道に復帰するという「復帰」の思想がある。「万物、並びおこるも、吾は以って復るを観る。」(十六章)、「物無きに復帰す」(十四章)というのが、それである。この生成と復帰という循環運動が無窮に繰り返されてゆく。このことは、無限の創造的エネルギー・生命が、無限絶対的次元から有限相対的次元に発現してゆくとともに、そこから無限絶対の次元に還帰してゆく――というかたちで全実在界に不断に貫流してゆくということにほかならない。

 孔子の思想について、人間は克己復礼の実践によって全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化するということに言及した。ただ、孔子の場合、この全実在界大の発現、還帰運動は、主題的に展開されていなかった。万物の根源である天が道に変わることによって、それが復帰思想として展開されたのである。

 無為の行為によって道と一体化した自己は、その行為によって同時に、道を始源、根源として展開される循環運動と一体化する。こうして、全実在界に貫流する無限の創造的エネルギー・生命の脈動と自己の内部に貫流する無限の創造的エネルギー・生命の脈動が一体となり、同化する。それが、「道に従事する者は道に同じ。」(二十三章)、すなわち、道に従って行為する(無為)ならば道と同体となるということである。それが、全実在界とそこにおける自己の真実相である。

 自己は、知的直観、知性を働かせることによって道と一体化し、それが無限絶対的次元の真実相であることを知ると同時に、道から生み出された万物と一体化し、それが有限相対的次元の真実相であることを知る。「天下に初め有り、以って天下の母と為すべし。既にその母を知りて、またその子を知る。既にその子を知りて、またその母を守れば、没するまでにそれ殆うからず。」(五十二章)とあるのは、そのようなこととしてとらえ返すことができる。有限相対的次元と無限絶対的次元とのあいだでは、循環運動が絶えず展開されてゆき、両次元が相即的に統一されてゆく。道の働きと同体化し無私、無欲、無為の境地に立った自己は、両次元の真実相を体得・体認するのである。

 現代の人間に対して全人格的転換の方向を示す老子の思想

 道は、万物を生み出す始源であったが、老子は「天下の万物は有より生ず。有は無より生ず。」(四十章)と述べている。したがって、始源は、有と無という二つの次元を持っているわけである。この場合の無は、有に対する相対無ではなく、有と無を包越する絶対無である。それは、唯一無限絶対の実在であり、その自己限定として有が成立し、その有から万物が生成するのである。

 老子の有は、感覚界の事物がその似像を映し出す原型としてのイデアに相当するということができる。プラトンは、永遠無限絶対の実在である善のイデアと合一するという実在・実在体験をした。ただ、プラトンは、それをロゴス化するにあたって、「有」という論理的表現を与えた。それに対し、老子は、道という実在との合一という実在・実存体験を、「無」すなわち絶対無としてロゴス化したのである。プラトン哲学は、西洋の伝統的な有の形而上学の原点となったが、老子の哲学は、東洋の伝統的な絶対無の形而上学の一つの基礎を形成したのである。

 絶対無としての道は、不断に万物を生み出しつづけるとともに、万物を受け入れつづける。道の働きは全実在界に及んでおり、道は全実在界に遍満している。「周行して而かもつかれず、……大を逝と曰い、逝を遠と曰い、遠を反という。故に道は大なり。」(二十五章)。道は、あらゆるところめぐり歩きながら、疲れることがない。大ということは、あまねくゆきわたることであり、ゆきわたることは遠ざかることであり、遠ざかることは再び帰ってくることである。人間は、絶対無の境地に立つことによって、この道の働きと一体化した全実在界大の本来的自己を実現することができる。すなわち「人間もまた道に従うとき、道や天地にもならぶべき大きさを持ちうる。」(森三樹三郎『老子・荘子』P39)ということである。

 だが、意識と意志を有する自由な存在である人間は、それゆえに道の働きから逸脱し、私心・私欲にとらわれることになる。だから、老子は、私心・私欲の克服という主体的実践によって本来的自己に復帰すべきだとするのである。それが、「樸に復帰す」「嬰児に復帰す」という思想である。超感覚的実在界から遊離した感覚界において私心・私欲に振りまわされて生きる現代人の姿は、道からの逸脱そのものである。そのような現代人に対して、老子の思想は、全人格的転換の方向を示しているのである。

 荘子

 万物の生成変化を超越し、それを支える「道」という実在

 荘子の思想は、人間が生成変化する感覚界から超感覚界に超脱し、永遠無限絶対の実在である道と合一することを究極目的としていることにおいて、老子の思想と同一である。感覚界における万物は、一瞬一瞬、生滅する無常の存在である。人間も、また,一瞬前の自己が死ぬことによって次の瞬間の自己が生まれる、というかたちで死に面した無常の存在である。この生死という人間の根本問題に取り組んだ釈迦は、生死を解脱し、ダンマという永遠無限絶対の実在と合一した涅槃の境地に到達した。荘子は、この生死の問題と本格的に取り組んだ中国最初の思想家であった。

 老子は、人間が感覚界から超感覚界に超脱し、道と合一することによって本来的あり方を実現することを、「樸に復る」あるいは「嬰児に復る」と表現した。荘子は、人間が生死を超脱して道と合一し、本来的あり方を実現することを、「その真に反る」と表現している。

 荘子における道は、老子の場合と同じ万物の始源、根源である。老子は、無から有が生じ、有から万物が生じるとしていた。この場合の無が、有に対立する相対無ではなく、有と無を包越した絶対無という高次の実在であるということには、すでに言及した。

 荘子は、そのことについて次のように述べている。「泰初は無有りて、有無く名なし。一の起こる所なり、一有りて未だ形せず。物以って生ずる。之を徳という。未だ形せざる者は、分かるる有り、且つ然も間無し、之を命という。留動して物を生じ。物成りて理を生ずる。之を形という。」(天地篇)。最初にあった無は、老子の無にあたり、一は老子の有にあたる。万物は、一から生ずるのである。

 大濱晧は、一を「ポテンシャルな有」と規定している。すなわち「ポテンシャルな有は未分の渾一体であるが、万物はポテンシャル有から生ずるから、未分の渾一体ではあるが、その中にすでに分化のきざしがふくまれている。しかしそれはあくまでもきざしであって、やはり未分の渾一体である。それを<未だ形われざるものには分有り、且、然れども無間>という。ポテンシャルな有、未分の渾一体の分化への必然性を命という。ポテンシャルな有が動いたり静かになったりして万物を生成する。万物がその生命の理を成就したものを形という。万物の形態は生命の理の完成された形態化である。」(『荘子の哲学』P104)ということである。

 道は、生成変化する万物の根源である。それは、生滅を超えた不生不死の実在である。『荘子』には「生を殺すものは不死。生を生ずるものは不生。その物たるや、将らざるなきなり、迎えざるなきなり。毀たざるなきなり、成さざるなきなり。その名を?寧という。」(大宋師篇)とある。

 一切の生きているものを死滅させるものは、それ自体として死滅することがない、不死である。一切の生きているもの生成させるものは、それ自体として生成することはない、不生である。道は不生不死であるから、時間・空間を超えた永遠の実在である。だから、道は、去ってゆく一切のものを送るとともに、やって来る一切のものを迎え入れることができる。道は、万物の生成変化の根源である。それを?寧(動にして静)と名づける。根源としての道は、有と無を包越した実在であるが、それは同時に、動と静を包越した実在でもある。そのようなものとして道は、動静、万物の生成変化を超越し、それを支えるのである。

 生死をその根源の「道」から見ることのできない通常の知の限界

 道は、動静を包越した絶対無である。その絶対無から、ポテンシャルな有、すなわち未分の渾一体が生じる。それは、「全体的には無分節の、しかし、無分節でありながら、限りない柔軟性をもって自己自身ををどこまでも分節化していく可能性をもった統一体」(井筒俊彦『意味の深みへ』P35)としての「混沌」である。

 この未分の渾一体が、動いたり静かになったりして自己分節化することによって、万物が生じる。したがって、道は、万物を超越すると同時に、万物に内在するのである。『荘子』には「物を物とするものは物と際なし。物に際あるものは、いわゆる物際なるものなり。」(知北遊篇)とある。万物を生み出し在らしめるものは、際がない、すなわち限定がない。それに対して、物として限定されていることが、物際である。道は、無限定、無分節であると同時に、限定、分節されている。

 道は、超感覚的な無限絶対の実在、永遠の生命である。道は、無限の創造的エネルギー・生命として時間・空間的な有限相対的次元と超時間・空間的な無限絶対的次元からなる全実在界に遍満している。永遠の生命である道を根源とし、それに支えられた万物の生滅、人間の生死の一瞬一瞬には、無限の創造的にエネルギー・生命が脈打っているのである。だが、感覚によってとらえることのできる対象を唯一の現実とみなす日常的意識を離れることのできない人間は、自己の生命が永遠の生命に支えられており、それに無限の創造的エネルギー・生命が内在していることを自覚することができない。

 すなわち「万物生ずることありて、しかもその根を見ることなく、出ずることありて、しかもその門を見ることなし、人皆その知の知るところを尊んで、しかもその知の知らざるを恃みてしかる後に知ることを、知るなし。大疑といわざるべけんや。」(則陽篇)ということである。人間は、万物が生じてきた根源を知ることをしない。人間は、始源から生み出された結果としての生成変化だけを見て、始源、根源を見ない。人間は、感覚およびそれに結びついた理性の対象となる事実だけを尊重して、感性、理性の対象とならない実在があってはじめて知るということは可能となる、ということを知らない。

 これは、感性的直観と理性による通常の知の本質的限界である。通常の知は、生死を、根源の道からではなく、感覚界においてのみ見る。したがって、生死が道の働きの表われであるということを知らない。根源の道から見るとき、一瞬前の自己が死ぬことによって次の瞬間の自己が生まれるというように生死は一体であり、一瞬一瞬が無限の創造的エネルギー・生命の脈動なのである。だが、生死の根源の道を知らない通常の知の枠内にとどまる人間は、一体的な生と死を対立的なものとしてとらえ、生を喜び死を悲しむことになる。それは、生死の繋縛以外の何ものでもない。

 「坐忘」により超感覚界に超脱し、「真知」により道の働きと一体化する

 生死の繋縛から脱却するためには、感覚界とそこにおける自己を絶対的に否定して、永遠の生命である道に合一しなければならない。それが「坐忘」である。『荘子』には、「枝体をやぶり、聡明をしりぞけ、形を離れ、知を去りて、大通に同ず。これを坐忘という。」(大宗師篇)とある。

 坐忘とは、身体から離脱し、通常の知を放棄することによって、道に同化することである。人間が、肉体から離れ、通常の知を否定することによって永遠無限絶対の実在と合一することができるという思想は、プラトン、アリストテレス、釈迦、孔子、老子について見てきたところである。荘子の坐忘も、それらの思想と共通するものである。死の練習、瞑想など、かたちの上では異なっているとはいえ、それらはすべて人間が感覚界から超感覚界に超脱するための実践であるということにおいては、まったく同一の事態である。

 人間が道と合一するためには、通常の知を否定しなければならない。そのことは、『荘子』の次の文章を見ればより明確になる。「目見ることなかれ。耳聞くことなかれ。心知ることなかれ。なんじの神まさに形を守らんとす。形はすなわち長生す。なんじの内を慎み、なんじの外を閉じよ。多知は敗をなす。」(在宥篇)。「神」(こころ)とは、感性、理性をこえる高次の知である。したがって、この文章は、外界へ向かう感覚器官の働きおよび、それと結びついた理性の働きを抑止し、汝の内なる神すなわち知的直観、知性を働かせる、ということと解することができる。要するに、感性的直観、理性による通常の知を、知的直観、知性による高次の知へ転換するということである。

 この高次の知こそが、「真知」なのである。それぞれの個人は、真知を働かせることによって、自己の内面の根源において道と合一し、その本来的なあり方に復帰することができる。それが、「その真に反る」という人間の全人格的転換である。それは、これまで考察してきた思想家における真実在との合一による本来的自己の実現ということと同一の事態である。自己は、その真に帰ることによって、生死を超脱する。すなわち「相忘るるに生をもってし、終窮することなからん。」(大宋師篇)ということである。生死を忘れた自己は、道の永遠の生命に参与する。それは、自己が絶対無の境地に冥合することである。

 万物は、始原の絶対無から出て、絶対無に帰る。すなわち「万物は皆機よりに出て、皆機に入る。」(至楽篇)ということである(機は絶対無としての道のこと)。このことは、無限の創造的エネルギー・生命である道が、無限絶対的次元から有権相対的次元へ発現してゆき、ふたたび無限絶対的次元へ還帰する――という不断の循環運動を展開してゆくということを意味している。自己は、真知を働かせることによって、この道の全実在界に及ぶ働きと一体化する。荘子は、人間のこの行為について次のように述べている。「臣の好むところの者は道なり、技よりも進めり。」「臣は神を以って遇い、目を以って視ず。官知は止まりて、神欲は行く。」(養生主篇)というのが、それである。

 「万物斉同」の境地に立つ「至人」「聖人」の自由自在な行為

 「技よりも進めり」とは、通常の技術を超えているということである。通常の技術を超えた行為とは、感性的直観、理性の働きを抑止し、知的直観、知性を働かせることであり、作為を否定した無作為である。大濱晧は、それを「道のはたらき、宇宙のリズムと一体となった技術(行為)」(『荘子の哲学』P129)と呼んでいる。

 自己は、無作為の行為によって全実在界に貫流・遍満する無限の創造的エネルギー・生命と一体化し、その真実相を体得・体認する。それは、自己が絶対無の境地、永遠無限絶対の境地に身を置き、そこから全実在界を見る、ということを意味している。それによって、生死の対立は消失し、自己は、古い自己が死んで新しい自己が生まれる一瞬一瞬に創造的エネルギー・生命が脈打っていることを感得し、生も死も共に楽しむという境地に達することができる。自己は、生死を超えた永遠の生命を生きつつ同時に生死する。

 生死をその根源の道から見ないとき、両者のあいだに対立が生じるように、万物をその根源の道から見ないで感覚界においてのみ見るとき、それらのあいだに対立・差別が生じる。万物は、始原、根源としての道から出て、始原、根源としての道に帰る。人間も、また、そのような万物の一つである。ただ、意識を有する存在としての人間が、感性的直観、理性による通常の知を離れることができずに、根源の道から遊離して感性界に自己閉鎖的となるとき、万物のあいだに対立・差別が生じることになる。万物のあいだの対立・差別は、人間の作為によって生じたものである。

 感覚界から超感覚界に超脱した人間が、知的直観、知性を働かせる無作為の行為によって道と一体化するとき、それを究極的な共通基盤として万物が相互に調和する。そのとき、一つの個物としての人間は、万物の内部に自己の内部と同じ無限の創造的エネルギー・生命が脈打っているということを感得することができる。「天地は我と並び生じて、万物は我と一たり。」(斉物論篇)ということである。

 万物をその根源の道から見るとき、それらのあいだの対立、差別は解消し、不生不死が実現する。そのとき、道と一体化した自己は、万物を包越し、あるがままに肯定する。すなわち「万物ことごとく然りとして、これを相つつむ」(斉物論篇)ということである。それが、「万物斉同」の境地である。そのような境地に立った人間を、荘子は「至人」「聖人」と呼ぶ。

 「至人」「聖人」とは、無限絶対的次元において道(絶対無、一)人一体の理を体得・体認とするとともに有権相対的次元において万物一体の理を体得・体認した全実在界大の本来的自己ということができる。道が一を生み出す働きと一体化し、一が万物を生み出す働きと一体化し、万物の働きと一体化する自己である。そのような自己の働きは、一切の作為を超えている。したがって、至人は、全実在界において一切の拘束から解放され、何ものにもとらわれることなく自由自在に行為することができる。そのような行為が、「遊び」「逍遥遊」である。

 自然的個物・人間的個人・文化的個物の対立・相剋を克服する万物斉同の思想

 至人は、「天地の正に乗じて、六気の弁に御し、以って無窮に遊ぶ者」(逍遥遊篇)である。すなわち至人とは、有限相対的次元において万物の正しいあり方に従い、六気の変化を制御すると同時に、無限絶対的次元に逍遥する人間のことである。また、「それ明白にしてその素に入り、無為にして朴に復り、性を体し神を抱き、以って世俗の間に遊ぶの者」(天地編)ともいわれている。至人とは、作為を捨てて道と合一するという本来的あり方をに復帰した状態のままで、世俗の世界に逍遥するものである。彼は、有限相対的次元に逍遥しながら、それを超えて無限絶対的次元に逍遥する。

 それが、全実在界の真実相を体得・体認した本来的自己の絶対的自由の境地である。道は無限絶対であるが、それは単なる有限相対に対する無限絶対ではない。道は、有限相対と無限絶対を包越する真の無限絶対の実在であり、無限の創造的エネルギー・生命として全実在界に貫流・遍満する。人間が「その真に反る」ことによって本来的な在り方を実現するということは、単に無限絶対的次元において道と一体化することにとどまらず、全実在界に及ぶ道の働きと一体化した全実在界大の本来的自己を実現することでなければならない。

 現代は、超感覚的実在界から遊離した近代科学技術文明が感覚界で自己完結的な運動を展開してゆく時代であり、人間は本来的自己を喪失している。そのため、現代の人間の科学的知識と技術的意志にもとづく自由な行為は、絶対的自由という根拠を喪失した放恣な自由すなわち作為となっている。その結果として生じたのが、自然的個物・人間的個人・文化的個物のあいだの深刻な対立・相剋であった。

 この事態を根本的に転換させるためには、人間が「その真に反る」ことによって「万物斉同」の境地に到達しなければならない。至人とは、特殊な存在ではなく、すべての人間がその可能性を有しているのである。自己が、全実在界に及ぶ道の働きと一体化するという実在・実存体験のロゴス化としての荘子の絶対無の形而上学は、現代の人間に、その「真に反る」途を指し示している。荘子の根本思想である万物斉同の説は、そのようなものとして現代に甦る。

 

プラトン、アリストテレスの引用は『プラトン全集』『アリストテレス全集』(岩波書店)によった。ただし、一部訳語を変えた場合もある。ウパニシャッドの引用は、辻直四郎訳による。釈迦の言葉の引用は、玉城康四郎訳などによった。

                                                   2011・10・14


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